ノブヤンのひとりごと(「バイロイトの第9」 その3/5)

〜 フルトヴェングラーについて 〜

私が所有するフルトヴェングラーを扱ったドキュメント映像の中には、戦後のナチ問題から解放されたフルトヴェングラーを中心とする、ドイツ音楽界の様子を取りあげた、興味深い部分があります。 そこでは、当時のドイツの音楽ファンにとって、フルトヴェングラーの演奏会に行けることは、私たちが想像する以上に「特別なこと」だったようです。 実際フルトヴェングラーの演奏会で、実演を目の当たりにした音楽家たちの感想や意見として、「特別な時間を味わった!」との記事が多く残されています。
またオーケストラ側からの興味ある言葉もあります。 フルトヴェングラーからカラヤンへと、ベルリンフィルの二人の指揮者のもとで、首席ティンパニー奏者をしていたヴェルナー・テーリヒェンが著した『フルトヴェングラーかカラヤンか』(訳 高辻知義ー音楽之友社)の本の中にある一説です。
『フルトヴェングラーが首席指揮者を勤めるベルリンフィルに、ある日客演で来た指揮者との練習の時、私はオーケストラの一番後ろの一番高いところに位置したティンパニーのところで、いつものようにスコア(指揮者用の総譜)を広げ、曲を確認するように目で追っていた。 練習の時は、人に聴かせる演奏ではなく、指揮者がテンポや強弱をいろいろ確認するための時間であり、それをティンパニーの席から曲の全体を確認するためにスコアを見ていたのである。 すると突然、全力投入する本番のような温かさと充実した響きにオーケストラの音色が一変した。 私は顔を上げ、この客演指揮者が何か魔法を使ったのかと確かめたが、何も変わっていなかった。 次に演奏をしている同僚たちを見ると、皆ホールの端の扉の方を見ていた。そこにはフルトヴェングラーが立っていたのである』
フルトヴェングラーのカリスマ性を感じさせる一文です。 つまり指揮をせずとも、立っているだけでオーケストラから音楽を引き出してしまう存在感! また、テーリヒェンがフルトヴェングラーの指揮で初めてティンパニーを演奏した時のことにも触れています。
『ベルリン国立歌劇場での「トリスタンとイゾルデ」〜前奏曲の始まりのチェロのアウフタクト(弱起で始まる最初の部分)が、どこから出ていいのかよく分からない右手の動きがあり、「無」のまっただ中から始まった温かくて充実した響き〜〜〜やがて曲の頂点に向かう2小節のトレモロ(ロール)のクレッシェンドが、あんなに永くなるとは予想もしていなかった。 そして解放される瞬間がどれほど待ち遠しかったことだろう〜〜』
フルトヴェングラーの演奏で感じられる魔法のような特徴が、このエピソードにとてもよく表されていると思います。 つまり、演奏を聴いている聴衆が魔法にかかる前に、演奏しているオーケストラのメンバーたちが、すでに逃れられないフルトヴェングラーの魔法にかかってしまっていたということ……。(写真5)

写真5 『フルトヴェングラーかカラヤンか』