1991年8月クーデター直後のロシアを訪ねて(前編)

1991年8月クーデター直後のロシアを訪ねて(前編)

私は1991年9月、所謂「ソ連8月クーデター」直後の「ロシア」を訪ねた。「ソ連邦」が完全に解体されたのはこの年の12月と記憶しているが私が訪問した9月には事実上「社会主義体制」は崩壊し社会は新しい「民主国家」の第一歩を歩み始めていた。とにかく私自身が一番驚いたことは写真撮影がほぼ全面的にOKということだった。これまで東側諸国では「空港」・「鉄道駅」等々かなりの箇所での写真撮影が禁止されていたがそれらの制限も解かれ原則なんでも撮影可能になったのである。これは観光客にとって大変ありがたいことでもあり当時「ロシア」の観光産業のターニングポイントに大きなプラスになったと思われる。そこで私は首都モスクワ周辺に広がる風光明媚な古都を巡る「黄金の輪(ゴールデン・リング)」と呼ばれるコースに参加した。先ず「ゴールデン・リング」のルートに入る前に立ち寄った所はモスクワ郊外に位置する「クスコヴォ(Kuskovo)の庭園」である(写真1)。フランス様式の庭園で「モスクワのヴェルサイユ」とも呼ばれる18世紀の美しい庭園に点在する大理石のオリジナルの塑像に目が惹かれた。また奥に見える建物は「陶器博物館」になっておりロシアの陶器の歴史を辿ることができた。いよいよ「ゴールデン・リング」と呼ばれるルートに乗り最初に訪れた街は古都「ウラジミール(Vladimir)」である。その街の入り口に立つ「黄金の門」(写真2)は元来12世紀の城壁の一部で「キエフの大門」を模して建てられたと云われている。街のシンボルは「黄金の門」とほぼ同時期に建立された現在世界遺産の「ウスペンスキー大聖堂」(写真3)でその迫力に圧倒された。そして田園風景が広がりひと昔前にタイム・スリップしたような本日の宿泊地、「スズダリ」へ移動した。ここスズダリの教会を含む白亜の建造物群(1992年世界遺産登録)の素晴らしさを魅了した。とりわけ「ロジェストヴェンスキー大聖堂」の美しさにウットリさせられる(写真4)。さらに街中を走るレトロなボンネトバスにも別世界を感じた(写真5)。翌々日、「ソ連邦」時代は外国人の立ち入りが禁止されていたという「ボルガ河」(写真6)沿いの古都「コストロマ(Kostroma)に向かう(写真7 コストロマ市街地図/写真8 コストラマ市街)。街の中心に位置する「市立劇場」(写真9)ではバッハのコンサートなどが開催されていた。因みにグリンカのロシア国民歌劇の代表作「イワン・スサーニン」はこの街の農夫イワン・スサーニンの英雄的物語をテーマにしたものである。私の「ゴールデン・リング」の旅はまだまだ続くが最後にこの街のレコード店で求めたお気に入りの「メロディア盤」写真のLP2枚を紹介して今回は切り上げたいと思う。1990年代の「ロシア」ではまだまだLPレコードが主流であった。写真10はエミール・ギレリス(Pf)&ズビン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック/チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、1979年11月19日・エヴァリー・フィッシャーホール ライヴ録音(C10 15995 001)。写真11はエフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団/ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」1968年録音(C01693/962LP)。

*写真は全て筆者が撮影したもの。

写真1 モスクワ東部に位置するクスコヴォ庭園(フランス式庭園)

写真2 ウラジミールの街の入り口にある「黄金の門」

写真3 ウスペンスキー大聖堂(ウラジミール)

写真4 スズダリ、ロジェストヴェンスキー聖堂(世界遺産)

写真5 スズダリの街を走るレトロなボンネットバス

写真6 ロシアの母なる川」-ボルガ川を行く客船(コストロマ)

写真7 「コストロマ」市街地図(1991)

写真8 ボンネットバスが走るコストロマ市街

写真9 コストロマ市立劇場

写真10 街のレコード店で求めたLP, チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番

写真11 街のレコード店で求めたLP、ショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」