ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を辿って

「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」来日公演記録(1961・1971)を辿って

当会の名称は古都・音楽の街ライプツィヒに本拠を置く民間最古のオーケストラ団体「ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団」に由来している。(詳細はHP名称由来参照) そこで今回は二人の首席指揮者フランツ・コンヴィチュニーとクルト・マズアの時代にスポットをあて私の手元にある写真・資料を紹介しながら「ゲヴァントハウス管弦楽団」にまつわる思い出話を綴ってみたい。
このオーケストラの初来日は今から遡ること57年前1961年4月のことだった。当時一行が羽田に降り立った1枚の写真(写真1 当時の報道写真)がある。バックのジェット機は今では懐かしいダグラスDC-8と思われる。同行した指揮者は当時の首席指揮者フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny/1901-1962)であった。またソリストとしてピアノのディーター・ツェヒリン(Dieter Zechlin)も同行しベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を披露している。この初来日では「第4回大阪国際フェスティバル」に参加のほか東京、八幡(北九州)、名古屋、郡山とまわり大阪と東京の公演では「ベートーヴェン交響曲チクルス」のプログラムを組んでいる(写真2 初来日公演プログラム表紙/写真3 初来日公演プログラム見開きページ/写真4 公演日程)。加えて東京・日比谷公会堂での「第9」公演は後にNHK音源からCD化されている(Altus-ALT136)。 また当時の興味深い「第1回フォンタナ・レーベル」の宣伝小冊子も手元に保存してあったので合わせて紹介しておきたい(写真5 宣伝小冊子表紙1961年4月/写真6 小冊子見開きページ/写真7 ゲヴァントハウス来日記念盤紹介/写真8 当時最初に私が購入したゲヴァントハウス管の国内盤LP、ベートーヴェン序曲集、フォンタナSFON-7536)。初来日からちょうど10年が経過した1971年11月、当時44歳の首席指揮者クルト・マズア(Kurt Masur/1927-2015)共に2回目の来日が実現した(写真9 1971年公演チラシ/写真10 1971年公演プログラム表紙)。この時の同行ソリストは当時若手新鋭のペーター・レーゼル(Peter Rösel)、彼もベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を披露している。この‘71年の公演プログラムはボリューム感がズッシリ、一例をあげれば「メンデルゾーン交響曲第4番“イタリア“/ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第5番“皇帝”」/「チャイコフスキー交響曲第6番“悲愴”」といったような聴きごたえ充分なプログラムが組まれていた。因みに私は最終日11月22日、日比谷公会堂でのベートーヴェン交響曲第6番「田園」と第3番「英雄」を聴いた(写真11 コンサート・チケット) 。公演最終日で旅の疲れもでたのか多少の弦の乱れもあったがよく云われるいぶし銀の渋味ある演奏が聴けた。コンサート終了後いつものように楽屋を訪れたがマズアは快くプログラムにサインしてくれた(写真12 マズアのサイン)。
この公演から30年余りが経過した2002年9月、私は「ゲヴァントハウス」のふるさと「ライプツィヒ」の街を訪れてみた。ベルリン東駅(当時、現在ベルリン中央駅)からインターシティ特急で約1時間45分、古都「ライプツィヒ」に到着(写真13 DBライプツィヒ中央駅、2002年9月筆者撮影)。ヨーロッパ最大の床面積を誇る格調高いターミナル駅で駅構内はおしゃれなショッピング・モールにもなっている。「ゲヴァントハウス」は旧ゲヴァントハウス」(写真14 旧ゲヴァントハウス、1961年初来日プログラムから)から1981年に現在の「新ゲヴァントハウス」(写真15 2002年9月筆者撮影)に移転した。「新ゲヴァントハウス」は中央駅から歩いて約10分ほどの位置にあり非常にわかりやすい。ロビーは日中、自由に出入り可能でスタンド・カフェバーも常設され壁には歴代指揮者の写真も飾られている。対面にはライプツィヒの「オペラハウス」がありこの日の夜はプッチーニ「蝶々夫人」が上演されていた。インフォメーションで「2002/2003ゲヴァントハウス・コンサート・イヤーブック」を入手(写真16)、後日見開きページに当時首席指揮者のヘルベルト・ブロムシュテット氏にサインを入れてもらった。年月日の漢字表記にビックリ!!(写真17 見開きページのブロムシュテットのサイン)。
(写真18〜20 ゲバントハウス管弦楽団2002年パンフレットより)

写真1 ゲヴァントハウス オーケストラ初来日1961記念集合写真

写真2 ライプチヒ ゲヴァントハウス管弦楽団1961年初来日公演プログラム表紙

写真3 ゲヴァントハウス管弦楽団初来日公演見開きページ

写真4 ゲヴァントハウス管弦楽団初来日公演コンサートスケジュール

写真5 第1回日本フォンタナレコード宣伝冊子1961年4月

写真6 フォンタナレコード宣伝冊子見開きページ

写真7 ゲヴァントハウス管弦楽団の来日記念盤紹介ページ

写真8 著者が最初に求めたゲヴァントハウス管のLP/ベートーヴェン序曲集1961年

写真9 1971年ゲヴァントハウス来日公演宣伝チラシ

写真10 ゲヴァントハウス管弦楽団1971年11月2回目来日公演プログラム表紙

写真11 ゲヴァントハウス1971年来日公演のチケット

写真12 ゲヴァントハウス管弦楽団1971年来日公演スケジュールとクルト マズアのサイン

写真13 DB(ドイツ鉄道)のライプチヒ中央駅 2002年9月撮影

写真14 旧ゲヴァントハウス、ライプチヒ(初来日公演プログラムから)

写真15 新ゲヴァントハウス 2002年9月撮影

写真16 ゲヴァントハウス管弦楽団2002-2003イヤーブック

写真17 ゲヴァントハウス管弦楽団イヤーブック 当時首席指揮者ヘルベルト ブロムシュテットのサイン、年月日を漢字で書いてくれた!

写真18  Gewandhaus Orch. 紹介パンフレット表紙 2002年

写真19  Gewandhaus Orch. 紹介パンフレット見開きページ 2002年

写真20  Gewandhaus Orch.紹介パンフレット 裏表紙 歴代指揮者紹介 2002年