″hatakeshun″のひとりごと(辻本 簾さん(NHKサウンドエンジニア)の思い出、その3)

その3「ステレオのルーツ」

辻本さんは私の依頼にもとづいて、2005年末、発売された「伝説のクラシックライヴ」(TOKYO FM出版)に「ステレオ放送80年の歩み」を執筆して下さった。
1960年代前半FM放送の実験放送がはじまるが、その前はAM放送の電波を使った実験放送だった。 「1952年にNHKがラジオ第1放送と第2放送を同時に使った実験放送を行った後、1954年11月13日に定時番組としては世界初のステレオ番組「立体音楽堂」をスタートさせた」。 「番組の冒頭の“向かって左の受信機を第1放送、右の受信機を第2放送に合わせ、いま話している私の声が中央から聴こえるように調節して下さい・・・」というアナウンスをご記憶の方もいるだろう。
「立体音楽堂」時代の目玉放送としては1957年のカラヤン指揮ベルリン・フィル来日公演、1961年のコンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、1962年の小澤征爾指揮NHK交響楽団「トゥランガリラ交響曲」がある。

以下、辻本さんの執筆をそのまま転用する。
ステレオの技術は20世紀に生まれたものと思われている人は少なくないであろう。 しかし、ステレオのルーツは意外に古く、19世紀に遡る。 1881年パリの国際電気博覧会でオペラ座のステージ前縁にずらりと多数のマイクを並べ、その信号を電話線で博覧会場に送って多数の受話器に接続し、お客は一つの受話器を片耳に当ててオペラ座の音を聴く、という催しがあった。 ある日、一人の客がたまたま空いていた隣の受話器を取って、自分の受話器を当てていない方の耳に当て、両耳で同時に聴いたところ、オペラ座の歌手の動きまでが手にとるように感じられ、これは凄い!と会場は大騒ぎになった。 一人の客の気まぐれという偶然の産物ながら、これは史上初の劇場からのステレオ生中継になったのである。
このときの2本の独立した電話線を二つの放送電波に置き換えた、初のステレオ放送の実験が1925年、アメリカのコネチカット州ニューヘブンの二つの中波AM放送局によって行われた。
日本では1940年代前後からのいくつかの実験を経て、1952年にNHKがラジオ第1放送と第2放送を同時に使った実験放送を行った後、1954年11月13日に定時番組としては世界初のステレオ番組「立体音楽堂」をスタートさせた。
民放では、1963年、文化放送とニッポン放送が「ベルリン・ドイツ・オペラ来日公演」を放送している。