ノブヤンのひとりごと 1(東北への憧れ )
昨年の7月、私は長年の夢であった岩手県盛岡への車中泊旅行を敢行しました。
目的は「盛岡第一高等学校」の校歌を聞き、歌う学生達を鼓舞する応援団を見ることでした。
今から50年以上も前のことになるでしょうか、私が高校生の時だったと思います。 夏の甲子園に岩手県の代表として出場したのが盛岡一高、そして私がテレビ画面にくぎ付けになったのが、野球のことよりもアルプススタンドの最前列に陣取った羽織り袴とボロボロの学生帽のバンカラ応援団の異様な勇姿でした。
当時カラーテレビの放送が、少しずつ一般家庭に入りつつあった時代かと思いますが、甲子園のアルプススタンドでの応援風景といえば、ブラスバンドやバトントワラーによる華やかな演奏や演技、お揃いの帽子や瞬時に変幻自在に変化するパネル人文字、特産のシャモジを打ち鳴らしては球児達に地元からのパワーとエネルギーを送り込むといった、まるで全国物産大見本市のような華やかで明るいムードが常でした。
そういう固定概念を一変させたのが盛岡一高の応援でした。 鳴り物は和太鼓のみ! 袴姿の応援団長は両手に扇を持って舞い、舞いながらひたすら大きな声をあげてアルプススタンドに陣取った一高生たちを鼓舞する……そのシーンにただただ圧倒され感動しました! そして、更に驚くべき出来事がその後に起こりました。
試合は盛岡一高の勝利で終了、選手たちは礼の挨拶をしてホームプレート上に並びました。 次は校旗の掲揚と校歌の演奏、ここまでは全く普通のことですが、流れてきた校歌に甲子園がどよめきました! それは、ゆっくりとしたテンポで、あの「軍艦マーチ」のメロディーが流れてきたからです!
テレビ画面見ていた私には、この応援と校歌のあまりにも衝撃的なダブルパンチを受けたことが、今でも強烈な記憶となっています。 こんな高校が今の日本にまだ残っているのか! と……、と同時に、同じ高校生として大変な憧れをも禁じ得ませんでした。
私自身は戦後の生まれですが、父親(すでに故人)は海軍にいて戦争体験者です。 茨城県の霞ヶ浦にあった海軍航空隊で教官をやっていたという話は、時々聞かされていました。 飛行船のツェッペリンが来た話も時々出ましたが、当時の日本における海軍の存在は、とても大きなものだったようです。
その象徴的な存在が「軍艦マーチ」(これは通称、正式には「行進曲『軍艦』)であり、そのメロディーを校歌とした盛岡一高に対しては、私の中ではずっと大きなリスペクトがありました。
かの宮沢賢治や石川啄木、金田一京助等を輩出した県下の名門校ですが、インターネットが使える現在、「盛岡一高校校歌」で検索すると、県予選での野球応援の動画が直ぐに見られます。
それを見つけた時は、今でもこのスタイルの応援を続けていることを知って、一層の感動や感激を覚えました。
ただし、文武両道といっても進学校であるならば、野球部が甲子園に辿りつくことはなかなか難しいのでは? と思い、こちらから岩手県の予選の試合を見に行くことが一番手っ取り早い方法ということで、岩手県盛岡への車中泊旅行になりました。
昨年7月17日の岩手県営球場の第2試合、少し歩く距離にある盛岡一高からは、まだ夏休み前ということで、学校にいた全校生徒が応援に動員されたようです。 しかし、応援席への誘導や指示は全て応援団(女子も何名かいて、裸足で履く履物は雪駄)が執り行い、整然としていたところを見ると、学校の中での応援団の確かな位置付けがあるようでした。
ですから、先生の声が発せられる場面は一切ありません!