カラヤニストのひとりごと(昭和プロレス・ロマンとクラシック音楽・ロマン)
- 昭和プロレス・ロマンとクラシック音楽・ロマン
- 「力道山のサイン vs カラヤンのサイン」-
「昭和プロレス」、特に「力道山時代」のプロレスには未だに一種の「ロマン」を感じている。クラシック音楽と同様に私が「プロレス」に興味を持ち始めたのは小学校5・6年生頃だったと思う。日本のプロレスマット界に初めて覆面レスラーが登場したのが1959年、赤覆面のミスター・アトミックと記憶している。当時まだ小学生だった私はこの年の8月、東京の「田園コロシアム」で行われた「力道山対ミスター・アトミック」のインターナショナル選手権試合を見に行った。試合は61分3本勝負、結果は2-0でチャンピオンの力道山のストレート勝ち、タイトル防衛で試合時間も20分足らずだったと思う。因みに小中学生の入場料は50円だった。一方、クラシック音楽界はこの年の秋(10月下旬~11月上旬)カラヤン&ウィーン・フィルが世界一周演奏ツアーで来日している。さすがに小学生の私にこちらは行く術もない。しかしもう随分前のことになるが偶然古書店でこのプログラムを入手した(写真1 1959年カラヤン&ウィーン・フィル来日公演プログラム)。プロレスの方はこのアトミックの試合を契機に時々会場に足を運ぶようになる。後に渋谷に力道山がオープンした「リキ・スポーツパレス」にもよく通った。また、1963年4月~5月に開催されたプロレスの祭典「第5回ワールド・リーグ戦」(力道山にとって最後のワールド・リーグ戦)の優勝戦、「力道山対キラー・コワルスキー(ポーランド代表)」(1963年5月17日・東京都体育館)も友達と指定席を購入し足を運ぶ(写真2 第5回ワールドリーグ戦プログラムから)。ロープ最上段からのニードロップが得意のコワルスキーだったが結果は2-1で力道山の勝利・優勝を飾った。そんな折、銀座の三菱スカイ・ビルディング(当時)で力道山にサインしてもらったブロマイドが手元に残っている(写真3)。また(写真4)はカラヤン・ベルリン・フィルが1977年11月に来日した際、サイン会で当時発売されたベルリン・フィルとの2回目の「ベートーヴェン交響曲全集」解説書写真に入れてもらったカラヤンのサインである。どちらも私にとっては大切な宝ものでもある。