ノブヤンのひとりごと 11(音楽教師としての備忘録 2/7)
〜3年目のコンクールはドボ8で行くぞ!〜
私は吹奏楽コンクールとは無縁の環境にいたせいか、選曲に対してはコンクール向けの傾向と対策の意識は全くありませんでした。 ただただレコードで気に入ったオーケストラの曲を、自分の指揮で現実の音にする夢があっただけです。 また、ここの中学校が演奏した過去の曲目では、私が来る前年がヴェルディの「運命の力」序曲、その前がチャイコフスキーの「スラブ行進曲」、そして私が赴任した時には既に決まっていたショスタコーヴィチの「交響曲第5番の4楽章」と、いずれもオーケストラで演奏される名曲であり、私には何の違和感や抵抗も無く吹奏楽コンクールに突入できました。
ところで吹奏楽コンクールでは、その年の決められた4つの中から1つ選ぶ「課題曲」の存在があります。 それはコンクールに向けて作曲された、3〜4分からなるオリジナル作品ですが、コンクールでははじめに課題曲を演奏し、そのあと続けて自由曲の演奏となります。 制限時間は、課題曲の指揮者の振り始めから自由曲の最後の「決め」までを12分以内に収めることと決められています。 ですから自由曲の演奏時間は、組み合わせる課題曲で決まりますが、自由曲のほとんどは時間短縮のためのカットが必要になります(世界中の名曲が5分ほどで収まるようにカットされた、NHKの名曲アルバムのように!)。 ここが指揮者としていつも悩むところで、いいところを少しでも多く聴かせようと欲張ってみても、コンクールでは1秒でもオーバーすると失格になります。
コンクールが近づくと、通し練習ではいつもストップウオッチで時間を計って本番に備えますが、幸い私は失格の経験はありませんでした。 それどころか本番では勢いがつきすぎて練習より速くなり、演奏後に計時したタイムを聞いては「世界新記録が出た!」と生徒たちに自慢をしたところで、テンポが速くなって指使いが追いつかなかった木管楽器の部員たちから、ひんしゅくをかうのが常でした。
さて2年目のワーグナーで編曲の苦しみを経験したにもかかわらず、3年目は吹奏楽版の楽譜が無くても「ドヴォルザークの交響曲第8番の4楽章」を、これまた懲りずに編曲してやろうと決めました。 ドヴォルザークの楽譜(写真1、2)を見てみると、ワーグナーに比べてはるかにスッキリしており、これは何とかなるだろうと思ったからです。
ドヴォルザークの交響曲第8番(通称ドボ8,つぼ八ではない!)には強烈な思い出があります。 それは1966年(昭和41年)に来日公演をした、カラヤンとベルリンフィルハーモニー管弦楽団のテレビ中継でした。 この年は私が中学2年の時でしたが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は既にレコードを持っていてよく聴いていたものの、ドボ8はまだ聴いたことがありません。
「新世界より」は有名な2楽章のみならず、他の1・3・4楽章の全てが気に入っており、とりわけ4楽章の最後のクライマックスが、大きなスクリーンで見る70mm映画を見ているようで(その昔ベン・ハーを前の方の席で見たため、両眼の視界の全てがスクリーンで埋まり、なおかつステレオ音響で圧倒された時のように)、曲のエンディングが近づくと、いつも鳥肌が立った記憶があります。 「新世界より」を聴くたびに、交響曲とは4楽章まで我慢しながら聴き、最後はこのように感動的に終わるのだ!という終わり方のパターンを学んだようでした。
また、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」のように、最後が終わりそうでなかなか終わらないしつこい繰り返し(中学校音楽の正式な鑑賞曲の一つですが、出だしの有名なテーマよりも、『しつこいベートーヴェン』と題して最後を聴かせると、意外に盛り上がりました!)があるにしても、交響曲とは30〜40分を聴いたあとの締めくくりを、堂々とした重厚な大みえを切ることで全体のバランスをとるもの、という感覚がいつの間にか身についていた私には、初めて聴く(見る)ドボ8の、あまりにもあっけない終わり方、それもカラヤンが左手をサッと上げて最後を決めた格好良さに、雷に打たれたようなショックを受けました…『カッコエエなー!!!』
そんな思い出があり、自分の指揮の最後を格好良く決めるために白羽の矢が当たった曲がドボ8でした(全て私の自己責任、生徒には一切責任無し……お前には学習という能力は無いのか……?)。
編曲は、ワーグナーの時のような吹奏楽用のフルスコア(全パートが書かれている指揮者用の楽譜)は作らず、オーケストラの各パートを吹奏楽の各楽器に振り分けるという、割と機械的な作業でパート譜を書き始めましたが、前年の初編曲の経験があるせいか、部員たちの力量に合わせた見通しを持っての編曲は順調に進んでいきました。 合奏を指揮する時も、私はオーケストラ版のフルスコアがあれば事足りました。
そして何よりも吹奏楽部の雰囲気が、前年までの2年間に比べて明るく和気あいあいとなっていたことも、私の精神衛生上にプラスしたのでしょう。 私と部員たちの間が先生と生徒という関係であっても、お互いに言いたいことが言い合える関係になり、時間を忘れみんなで音楽を作り上げる仲間になっていきました。
例えばドボ8の練習をしている時、トロンボーンの音がどうしても冴えなくて、私が持っていたカセットテープ(写真3)の音源を聴かせました。 この録音は、私が大学2年生の時のものですが、この日の演奏会には私自身NHKホールに行って「生」カラヤンを見て聴いており、そのFM中継のエアチェックは、タイマーを使って無事に録音出来た貴重なお宝です。
<NHKホール落成記念演奏会 東京公演3日目> (写真4、5)
カラヤン指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
ドヴォルザーク 交響曲第8番
1973年 10月27日(土曜日)NHKホール
さて、音楽室のステレオの音量を上げて聴かせます……
私「いいかーお前たち!、お前たちのようなしょぼい音じゃなく、今聴いたこのベルリンフィルのような音を出せ!」
それに対するトロンボーンを吹く部長のT君が一言「指揮者がカラヤンじゃないからなー……」
《音楽室には賛同するかのような数名の男子部員の笑い声》
私「くそー、オレでわるかったな………」
ことわっておきますが、この時の雰囲気は決して悪いものではなく、明るい笑いの中でのやりとりですから、どうぞご心配なく!
この当時の男子部員たちとは、カラヤンとかフルトヴェングラーのレコードを聴いての話が出来るほど、音楽的な情報をやりとりする仲間でもあり、部活動は本当に楽しい時間でした。
さて肝心のコンクールの結果ですが、なぜか記憶にありません。 ただ上位に入ったことで、皆で大喜びをしたことだけは覚えています。 この時の3年生の部員たちは、私の2年間の苦労を間近で見ていたからなのか、私に寄り添っての新しい吹奏楽部を目指してくれたのかもしれません。
謝謝 !