hatakeshunのひとりごと(内田光子さんの思い出)

11月6日、龍ヶ崎ゲヴァントハウスのCDコンサートでモーツアルトのピアノ協奏曲第20番が演奏された。 ピアノ独奏、内田光子さん、ホルスト・シュタイン指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団、1955年6月20日ベルリンフィルハーモニーのライヴ収録だった。 見事な演奏だった。 特に第一楽章のカデンツィアが凄かった。カラヤニストさんの解説によるとこのカデンツィアはベートーヴェンの作だという。 ドラマチックで威厳に満ちていた。 シュタインの指揮も見事だった。

聴きながら50年前のことを思いだしていた。
私は50年前、1970年、内田光子さんにお目にかかっていた。
この頃、私はTDKでカセットテープの商品企画をしていた。 当時のカセットテープの音質は会話等の記録にはいいが、音楽用のレベルではなかった。 TDKは1969年、SDカセットテープを発売した。 SDに使用した磁性紛はもともとオープン用に開発していたものだった。 粒子が細かく、軸比が大きく、保磁力も大きく、高域特性が優れていた。 ただ、高域の感度が高すぎて規格はずれだった。 このテープをカセット用に切断して、聴いたところ、素晴らしい音がした。 SDカセットは世界初の音楽用カセットテープとの評判を呼び、TEACによる世界初のカセットデッキ発売に結びつく。

1970年、SDカセットの評判に気をよくした私は、規格はずれのSDオープンの商品化を思いつく。 電気特性的に規格はずれでも、聴感上的には歪等の違和感はなく、透明感のある素晴らしい音がした。

この年、ショパンコンクールで内田光子さんが第2位に入賞する。 “そうだ内田さんに聴いていただこう”私は広告代理店で「TDKオリジナルコンサート」のプロデュースをしていた太田さんと一緒に内田さんのお宅にお邪魔した。 50年前のことであり、細かいことは忘れてしまったが、お宅の印象、通された部屋、内田さんの印象は残っている。 それは「ソフィスケート」という言葉が一番似合う。 内田さんは1948年生まれ、当時22才。 お父さんは西ドイツ大使館などを務めた外交官。 ウィーン音楽院でピアノを学んだ。 お宅の印象、内田さんの印象、全てが私のような庶民とは次元の違うものだった。

SDオープンテープに録音したピアノの音を聴いたとき、内田さんの顔が輝いた。 「面白い音ね。 音が飛び跳ねるよう」と、印象を語った。

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466 (内田光子/クリーヴランド管)
URLhttps://ml.naxos.jp/work/4403870