hatakeshunのひとりごと(私の生年に完成した戦争交響曲「レニングラード」)
私の生年に完成した戦争交響曲「レニングラード」
ここ数日、気になっていたCDがある。ロシア生まれの作曲家、ショスタコーヴィチ(1906-1975)が作曲した交響曲第7番である。 1941年6月、ナチス・ドイツ軍の中心勢力がソビエト第2の都市レニングラードを包囲。 熾烈な砲撃と空襲によって住民もろとも消滅させるべく攻勢をかける。
第7番はスターリンの意向に沿い、この猛攻に立ち向かい、ドイツ軍に勝利するという構成で作曲されたと言われている。 「レニングラード」という愛称がついている。
第1楽章でドイツ軍がレニングラードに侵攻してくる様子が描写される。 この部分はラベルのボレロを模写しているのではないかと言われる。 最初はどちらかというと明るく勇壮である。 しかし、次第に変容。 悲劇性を帯びてくる。
亀山郁夫氏の書いた「ショスタコーヴィチ・引き裂かれた栄光」を読む(写真1)
「ショスタコーヴィチは義勇兵として前線で銃を持つことを志願したが、入隊を拒否され、ペンと五線紙で戦う決意をした」「ショスタコーヴィチはレニングラードからモスクワに空路で避難。 モスクワから鉄道でサマーラに移動。 同じ列車にカバレフスキー、ハチャトリアン、オボーリン(ピアニスト)も乗車していた」「1942年、第7番、レニングラードで初演。 ドイツ軍による兵糧攻めで1日2万人の餓死者がでる状況下での初演だった。 このコンサートが無事終わるようにソビエト軍は砲弾3千発を敵軍に打ち込んだ。 演奏中、砲声やサイレンによる空襲警報は万が一の場合のみという指令がでた」「レニングラード市民はその夜、遠からぬ自分の死や、愛する人の死を予感し、迫りくる世界の終わりに思いを馳せながら、恥じることなく涙にくれた。 彼らが耳を傾けていたのは、音楽というよりもむしろ交響曲という<一冊>の書物だったのかもしれない」。
聴いたCDは第7番の決定盤と称されるワレリー・ゲルギエフの指揮したもの(写真2)。 ゲルギエフはロシア出身の指揮者。 プーチンと30年来の親交があるということで、現在、欧米の楽団から締め出されている。
交響曲第7番「レニングラード」が完成した年、自分は生まれた。 80才になった今年、ロシアによるウクライナへの侵攻が始まった。
このCD、ダイナミックレンジがとてつもなく大きい。
第一楽章、ドイツの進軍を表す冒頭部分で小太鼓がリズムを刻むのだが、通常のボリュームだとほとんど聴こえない。 聴こえるところまで、ボリュームを上げると、頂点のフォルテ部分ではとんでもない大音量になり、部屋が爆発しそうになる。
ということで、家人が留守の時を狙って全曲通じて鑑賞。第5番では得られない深い感動に浸った。