”kazu"のひとりごと(クラシックって何だろう)
同じ時計会社の型番は違うがほぼ同じ内容の時計が2つある。両者の違いは、基本は同じだけれど少し印象が異なるデザインと製造された年代である。片方は1960年代であり片方は1990年代に製作された時計だ。二つの時計の間には30年の歳月の隔たりがあるわけだ。1960年代はまだだが、1990年代は既にデジタル時計が世界を征服してしまっている時代だったが、1990年代の時計も1960年代の時計と同じ機械式の時計である。正確なデジタル時計が溢れているのに精度の遥かに劣る機械式の時計を使うのは酔狂者のする事だろう。事実1週間も時刻合わせをしなければ数分は狂っている。
狂うのが当たり前なのが機械式時計の良いところなのだと世の趣味人達は言うらしい。また、定期的なオーバーホールやら、ぶつけたりしない様に気を使うなど労力と注意力がかなり必要な厄介な代物であるから、趣味や趣味人とは何やら奇妙奇天烈なもののようだ。
ところで、2つとも機械式で誤差が出て狂うのは同じだが、2つの狂い方には大きな違いがある事にある日気が付いた。狂い方にかなりの差があるのだ。もちろん新しい1990年代の方が古い1960年代の時計より正確だと言うなら当たり前の話だが、面白い事に古い方の1960年代の方の誤差がずっと少ないのだ。より古い方が正確だなんて何かおかしいのではないかと何時も世話になる時計屋の店主のところに2つを持ちこんで相談したところ、店主は2つを見比べるでもなくニッコリして言うのだった。「おかしくは有りません。新しい方が故障している訳ではありません。古いものの方が、良いからです。昔の物の方が作りが良いのです。今の時代は多くの物がそうだと思います。デジタルで安易に高い精度が得られるから手間暇かかる機械などはコストを考えてそれなりにしか作らないのです。」
調整である程度までは誤差を少なくは出来るが、昔の物に及ぶことが出来ないと店主はニッコリとだけれどどこか寂しそうに微笑むのだった。
古いものをクラッシックと言うが、古いものの方が作る側の心意気と誠実さが格段に高いのだと言う事だ。だからクラッシクは単に古いと言う言葉の代名詞では無く、古いと言う事実を乗り越えて尊さがあるのだと2つの時計を見比べて気が付く。
クラッシック音楽もそうだ。ルネサンス、バロックの遠い昔から連綿と続くのは音楽に関わって来た人々の尋常ならざる熱意と誠意があったからだ。
ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニは言う。「クラシック音楽が如何に素晴らしいのかに今の若者も気が付いて欲しい。これほど奥の深い音楽は無いのだから。」と。