"Roundone"のひとりごと
「タンノイ オートグラフ HPD-385A」
このスピーカーが実家に来たのは20歳過ぎくらいの時であったと思う。 それまでのメインスピーカーはレクタンギュラーヨークであったが、 その両脇にどんと配置されたのである。 時代はまだまだレコードが全盛であり、記憶ではオートグラフで聴くときは カートリッジをEMTに、レクタンではOrtofonという切り分けをしていた。 そのうちアンプの数も増えていき、また真空管から石のアンプへと様変わりしていくが、 オートグラフの音はクラシック音楽のために存在している、と今でも思っている。 きらびやかなピアノのタッチ。 たまらなく妖艶なヴァイオリンの音色。 深く渋く沁みわたるチェロの響き。 フィルハーモニー・ホールのような管弦楽。 祝祭大劇場にいるかのようなオペラ。 すべての分野を網羅している。
しかしこのオートグラフを鳴らすために要した気力と時間は途方もないものであった。 コーナータイプであるので「角度」という難題がつきまとった。 より上質な音を求め、聴く位置と角度、これを解決するために 巻尺片手に壁の背面、横からの距離を測り、印に床にシールを貼っておく。 ミリ単位まで追い込んでいく。 同じ曲を何度もかけ直し、椅子に座り直し、そしてまた距離を測る。 この繰り返し。本、雑誌、ネットを探索し情報を漁る。 一時はこの作業が夢の中にも出てきたからとり憑かれていたと言っていいと思う。 この苦労の中から一筋の光明が差したのはいつ頃だったかはもはや定かではないが、 それはひょんなことから偶然閃いたことだった。 ある日部屋全体を見まわした時のこと、そうか、 この空間を鳴らさなくてはいけないと気づいたのだ。 自分とオートグラフの距離ではなく、部屋の空間とオートグラフの位置が 「最重要事項」だと。 空間を鳴らすための最善の位置、それは巻尺で測るのではなく、 「音場」を形成させることであった。 スタジオではないので左右の空間のバランスは感と勘の配置であるが、 偶然にせよ極めた「最上の音場」、この聴感覚を記憶させればシールも必要ない。 この至上の空間は何時も変わることがなきよう維持することに努めている。 ふり返れば生のコンサートを、そのコンサート会場を イメージすればよいことだったのだが、機器を相手に 随分と遠回りをしたものだ、とつくづく思う (1年前突発性難聴を発症した際は病状プラス気持ちの面で聴感覚がマヒし 絶望的だと観念したが)。
世評ではHPD-385Aの評価はそれ以前のMonitor Red、Goldより低いが、 トランジスタ時代を予見した技術は今日でも それほど時代遅れではないのではないだろうか。 レコード、CD、ハイレゾ、なんでも鳴らし切る。 この作曲家はこの曲を、この曲はこの演奏家で、オーディオは何々と 皆様こだわりはあると思うが、私にとってクラシック音楽の「音」は 「オートグラフ HPD-385A」なのである。 それはみているだけでも神々しい。