行方洋一さん、元東芝音楽工業のレコーディングエンジニア。 坂本九、弘田三枝子、欧陽菲菲、奥村チヨ、ザ・ドリフターズ等の録音を手がける一方、SⅬ(蒸気機関車)の録音でも名録音を残す。 海外の録音スタジオを視察した時、JBLのスピーカーの音に惚れ込み、日本における輸入販売の切っ掛けを作る。 オーディオ評論家としても活躍。伝説のエンジニアである。 行方洋一著「音職人・行方洋一の仕事」はニッポンの録音史である。 この本を読むと自分の人生と重なるところがいくつかあった。
①まず年齢。 行方先生1943年生まれ。 自分は1942年生まれ。 先生のお名前を知ったのは30才の頃。 行方さんは業界では既に有名人だったので、著書を読むまで年上だと思っていた。
②先生が東芝に入社したころはアナログ時代。 録音媒体はオープンテープ。 自分はTDKで放送局やレコード会社にオープンテープの販売をしていた。 著書に”アジマス”という言葉がでてくる。 テープ録音に欠かせない技術用語である。
③自分は33才の時、磁気テープの商品企画担当になる。 当時、FM放送からテープに録音するエアチェックブーム。 FM番組誌が4種類も発売され「テープサウンド」というテープ録音についての専門誌まで登場。 自分は各誌に執筆するオーディオ評論家の先生との付き合いが深くなる。 先生がフリーになった時、「テープサウンド」編集部を事務所がわりにしていたのだという。 CD時代を迎え、同誌は「ステレオサウンド」誌に統合される。
④先生が土浦在住ということは承知していて、随分遠いところに住んでいるなと思っていたが、自分は今土浦の近くの牛久に住んでいる。
著書を読んで、音楽・オーディオファンは「アナログの音がいいとかデジタルの音がいいとか」言い合っているがレコード(CD)制作には録音エンジニアがかかわっていて、音づくりをしていることを忘れてはいけない。 と改めて感じた。
ドイツには「トーンマイスター(音職人)」という国家資格があるが、音についての国家資格制度のない日本でレコディングエンジニアの地位を築いた行方先生の功績は大きい。