ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第13番ト長調
後千回のクラシック音盤リスニング(20)
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第13番ト長調Op.106
〜ドヴォルザークの「アメリカン」はお好きですか?〜
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲変ホ長調Op.51 &ト長調Op.106
ヴラフ弦楽四重奏団 Supraphon 25CO-2318
コーヒーは薄めの「アメリカン」、これは米国の乾燥した空気という条件下ではとにかく美味しい。「ブランデー、水で割ったらアメリカン」、なつかしいキャッチコピーである。ウイスキーにしてもブランデーにしても、ストレートで飲むと強すぎる。いや、ストレートで、水ならチェイサーでというのが正道らしい。しかし、強い酒は自分なりの好適濃度を探るに限る。「アメリカン」がよい。
さて、クラシック音楽をテーマにして、ここでも「アメリカン」を選択されますか?と言うのが今回のコラムである。
ここに面白いデータが存在する。音楽之友社のONTOMO MOOK「クラシック名盤大全」(室内楽曲編)、これはわが国の著名な音楽評論家41名が各々の室内楽の分野の推薦を選択したもので、ノミネートされた名盤は計1400に上る。しかし重複もあり、最終的には編集の結果1057盤に絞られた。それにしても凄い数である、しかも室内楽というジャンルなのである。
ここで、私はドヴォルザークの弦楽四重奏曲に目をやる。興味津々である。というのは私は第12番の「アメリカ」(英語では「American」)が好きではない。果たして、何人の評論家大先生たちが「アメリカ」を選ぶのか、何名がその他の弦楽四重奏曲を選択したのか。
結果は「アメリカ」14、その他0である。何ということだ、「アメリカ」がそんなに名曲ですか?と異議を唱えたくなる。作曲家がつけた訳ではないにしても、「タイトル」がある、ないでは人気の点で雲泥の差が生じてしまうようだ。だが、それにしてもである。
ドヴォルザークの弦楽四重奏曲は全部で14曲ある。何故、こんなに「アメリカ」が人気なのかである。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の初演を依頼されたアウアーは「この曲は馬草の匂いがする」と言って拒否した。私はこの弦楽四重奏曲「アメリカ」にその匂いを嗅ぎつける。
1982年、ドヴォルザークはニューヨーク・ナショナル音楽院の院長としてアメリカに渡った。この新大陸で黒人霊歌やフォスターの歌曲等アメリカの音楽に接し、それらの影響を受け、1893年には交響曲第九番「新世界より」を完成させる。
しかし、新大陸の大都市に対応できず、田舎人ドヴォルザークはホームシックにかかってしまう。そのため、最初の夏季休暇をチェコからの移民が多数住むアイオワ州のスピルヴィルで過ごすこととなった。このようなコロニー的な村落はあちこちにあり、私の居住地であったウイスコンシン州マディソン近郊にもニュー・グラールスというスイス村が存在した。因みに、アイオワ州とウイスコンシン州は隣接している。
さて、スピルヴィルでリフレッシュしたドヴォルザークはその地で短期間のうちに弦楽四重奏曲「アメリカ」を書き上げる。そもそもこの弦楽四重奏という形式は「四人の賢者の対話」と称されるように、音楽でも最も深い世界を表出出来るジャンルである。なので、大音楽家は練りに練って偉大な四重奏曲を作ってきたのである。こんな短期間で一気に書き上げるなんて、ドヴォルザークは躁状態だったのか。
いや、私は別にドヴォルザークの「アメリカン」を貶すためにこのコラムを書いている訳ではない。「アメリカン」が傑作とするなら、ドヴォルザークにはもっと優れた弦楽四重奏曲があるのでは、というのが今回のテーマである。
私がドヴォルザークの弦楽四重奏曲で愛聴して止まないのは実は弦楽四重奏曲第13番ト長調Op.106である。つまり、「アメリカン」に続く弦楽四重奏曲で、第14番も存在するが、作品番号としてはこのジャンルでの最後の作品106となる。
この四重奏曲はドヴォルザークがチェコに帰国して間もなく、慌ただしい状況の中で書かれた。なので、確かに腰が落ち着いてないようにも聞こえる。
ト長調で書かれた第一楽章は幸福感に満ち溢れ、一瞬短調になる部分もあるが、どこか懐かしさを覚える長調の世界である。無事帰国して、安堵の気持ちが溢れている、そんな楽想の連続である。しかしどこかせわしない。
ところが、次の第二楽章のアダージョ・マ・ノントロッポで暗雲が垂れ込める。しかし、この第二楽章こそがこの作品の肝であろう。このアダージョ楽章の素晴らしいところはその「望郷の念」の表出である。「我が祖国ボヘミアは何千里」と、望郷の念に駆られてドヴォルザークの眼には涙が滲み出ているような音楽となっている。同時期に作曲された弦楽五重奏曲Op.96の緩徐楽章ととても似ている。そして、第三楽章とフィナーレは再び明るい雰囲気に戻るのであるが。
もう一度だけ二楽章に戻って、「望郷」と書いてしまったが、ひょっとするとそうではなく、この悲痛さはチェロ協奏曲と同様、義姉にして、かっての恋人ヨゼフィーナ・カウニツォヴァーの重態の知らせと彼女の死に起因するのかもしれない。チェロ協奏曲では作曲中に彼女の第二楽章作曲中に彼女の重態の知らせが届き、はっきりと彼女への想いを込めて自作の歌曲の旋律を引用しているのである。フィナーレのコーダにも彼女への哀悼の感情が込められていると言う。
そうなると第一楽章初め、どこか落ち着きのない楽想と言うのは帰国して義姉の死に接し、多忙なスケジュールと動揺に起因しているのかもしれない。
私のCD棚にはひとつの全集以外はドヴォルザークの弦楽四重奏曲のLPやCDは数が限られている。LP時代には「アメリカ」のみ、それもスメタナ弦楽四重奏団の2枚だけであった。これは神戸ライブが廉価盤で出たため、しかもその評価がとても高いので追加しての2枚であって、当時は基本1曲1枚が原則であった。いや、当時はLPレコード1枚買うのは大変だった。FM放送のエアーチェックがとても人気があったのはこのためである。
CDの時代となり、ヴラフ四重奏団による第13番と作品51が入った盤が加わって、これが長い間愛聴盤となっていたが、後年ABQ(Alban Berg Quartett)盤が加わった。しかし、ABQ盤はこの四重奏団の全集を買い込んだおかげで受動的に加わったもの、従って、長い間なじんできたヴラフ盤により愛着を感じる。それに第13番のアダージョ・マ・ノントロッポでの表現がより切実である。
ABQの流麗な演奏に比べると、どうも稚拙みたいに聞こえる部分も多い。しかし、訥々とした表現がローカルな雰囲気を醸し出し、より親しみを感じる。馴染んでいるということも無きにしもあらずではあるが。
私は上の「クラシック名盤大全」で「アメリカ」以外でも、例えば当時チェコ音楽紹介の旗頭であった故佐川吉男氏あたりが数曲選ばれるのではと期待して読み直してみたが、推されていたのはスメタナ四重奏団の五度目(凄い!)の録音(1988年)のみであった。
デジタル時代に入って録音が容易になり、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲全集もいくつか登場する。かって第九番以前は聴くことが困難であったが、有難い世の中になったものである。そして、「アメリカ」の録音はますます増えている。
「アメリカ」の海外での評価はどうなのであろうか、ということで英国で1994年に刊行されたペンギンのCDガイドを調べたところ、同様の傾向はある。11枚が評付きで記載されているが、その他の弦楽四重奏曲も結構な数取り上げられている。
洋の東西を問わず「アメリカン」は超人気作ということは理解した。しかし、チェコのローカルな団体から、インターナショナルな有名団体まで何が演奏の意欲を湧きたたせるのであろうか、どうも今でも理解し難い。さすがに、ブッシュやカペーは録音していないが。
まあ総じて「田舎の父つぁん」ドヴォルザークの弦楽四重奏曲作品群は深遠なる精神的世界、普遍的な深い感情表現までには至らず、個人的な「望郷」や「感傷」の世界に留まっているということになるのであろう。でも親しみやすい佳曲ばかりである。しかし、また繰り返すのであるが、それにしても「アメリカン」の人気は異常なのではないだろうか。