ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調Op.135

あと千回のクラシック・リスニング(28)


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調Op.135

〜ベートーヴェン最後のカルテット、真に楽聖の解脱の境地を味わう:「かくあらねばならないか、かくあらねばならない」〜

ベートヴェン:弦楽四重奏曲第16番Op.135
スメタナ弦楽四重奏団 Supraphon OP-7046-S

私はかって、傑作揃いのベートーヴェンの弦楽四重奏曲の中で最高傑作として第14番を選んだ。その選択は今でも変わらない。
それはそれとして、今回取り上げるのは最後の弦楽四重奏曲第16番である。
このところ弦楽四重奏曲というと、ハイドンのいくつかとこのOp.135である。
最後のという修飾を付けずとも「素晴らしい」、この一言に尽きる。このベートーヴェンらしくもない解脱の境地。交響曲で言うと第八番のような存在となろうか。簡潔なのである。これまでの「俺の作品を聴け」みたいなベートーヴェンらしさが激減しているのである。これにはまず、超人的な精神力を持ったこの楽聖にも「死」が近づいているという自覚があったに違いない。
第14番は人類は言うに及ばず、宇宙まで見通すかのような幻想の世界が拡がる。そのような力に溢れている。ところが、この最後のカルテットでは力が完全に抜けていて、その脱力感がこころよい。
しかも、ベートーヴェンはフィナーレの導入部の和音の下に "Muss es sein?"(かくあらねばならぬか?)と記入しており、さらに第1主題には "Es muss sein!"(かくあるべし)と書き添えている。この謎めいた文の書き込みがあるのは知っていたが、勝手にそれは第三楽章、すなわち緩徐楽章のことだと思っていた。この思わせぶりな書き込みについては深遠な哲学的というか抽象的な世界を示唆するという見方もあれば、反対に現実的なやり取りに過ぎないという説もある。私はもちろん前者を採る。
この最後のカルテットには、第14番のカンツォネッタと同様、殺し文句のような美しい数小節がある。
それにしても、フィナーレなど聴くと、その明るさに驚嘆する。悪化の一途を辿る自分の健康や甥カールの問題などが現実の問題として次から次へと生じていたにも拘わらず、この明るさは一体何であろうか。南京虫が湧いた、湿ったベッドから弟のヨハンが提供した美しい景観と都会にはない郷愁を誘うような場所にある別邸が気に入ったことも関係しているのかもしれない。いや、単に曲の構成上のバランスかもしれない。
この曲で、私の愛聴盤はスメタナ四重奏団、それもスプラフォンによる録音でアナログ盤である。これは最初に手に入れたこの作品のレコードで、長く聴き込んだ馴染みみたいな要素が作用しているのかもしれない。それにしても、噛めば噛むほどに味わい深い演奏である。
このレコードを購入した切っ掛けは尊敬する大木正興氏の推薦文だったような気がする。
これは1968年プラハでの録音で、PCMによる録り直しは行っていない。第13番及び第15番も同様である。十分に完成した演奏となっているとの理解だったのかもしれないし、他の理由があったのかもしれない。解釈は変わらないのに音の良さを求めて録音を繰り返す、そういう贅沢が許されるのはカラヤンくらいかもしれない。
いずれにしてもスメタナ四重奏団はボヘミアの伝統であるいぶし銀のようにくすんだ弦楽四重奏曲の音色と柔らかく練りあげられたアンサンブルを特色としており、ある意味PCMなどデジタル録音よりも、アナログ録音の方が相性がよかったのではないだろうか。
実際、PCM録音によるLPは数枚購入したが、当時はあざとい音に聞こえたし、室内楽はアナログ録音のステレオ盤で十分とも考えられる。それはデジカメ撮影の写真よりもやはりフィルム撮影の、しかもライカやカールツァイスの味のあるレンズで撮ったそれとの差のような。
それにスメタナ四重奏団はまずチェコというローカルなカルテットという位置づけで、国際的にはあまり表に出てこない。ペンギンCDガイド(1994年版)でもベートーヴェンではヴラフやヤナーチェクと言ったカルテットの名は出てもスメタナは出てこないのである。まあ、これは英国の自国贔屓みたいな評価でリンゼイ四重奏団がやたらと幅を利かせているのと対照的である。いやベートーヴェンだけではない、何とドヴォルザークにおいても同様なのである。ここでも、チリンギリアン四重奏団の評価が高い。どこかおかしくないか、という気になる。
ではウィーンのカルテットはどうかと言うと、バリリやウィーン・コンツェルトハウス、あるいはウィーン・フィルの流れの団体は音が柔らかすぎて、あるいはテンポが緩やか過ぎて、私には少なからず違和感がある。
さすればアルバン・ベルク四重奏団は、ということになるのであろうが、私見ではこの最後の作品には渋さが足りない気がする。それならば、むしろ録音は古くてもブッシュ四重奏団を採りたい。
確かに、私にとってライブ体験での最高のカルテットはアルバン・ベルク四重奏団である。フランクフルト、つくば、そして横浜でのフェアーウェル・コンサート、つまり駆け出し、絶頂期、そして引退前の3回聴いたことになる。東京や大阪という大都市に住んだことがなく、音楽を生業にしていない自分にとって同じアーティストを3回聴くというのは例外的存在である。殆どが一期一会みたいな世界なのである。ギレリス、マゼール、クレーメル、カーゾン、クーベリック等々。
先週、イヴァシキン著「ロストロポーヴィッチ」(秋元里予訳、春秋社)を読んでいて、この巨匠も接したのは1回きりだったなと思ったのだが、いや2回であることに気づいた。
1回は1970年頃、京都会館での京都市響の定期演奏会で、スラヴァ(ロストロポーヴィッチの愛称)はドヴォルザークのチェロ・コンチェルトのソロだったのだが、ひ弱なオケを引っ張るがごとく、オケの前奏部分で顔面真っ赤にして腕を突き出し、指揮を始めた。スケール雄大、快刀乱麻みたいなインパクト極大のソロで、はっきり言ってオケはかすんでいた。まあビフテキのスラヴァのチェロに対して、お茶漬けの京都市響のバックとでも言おうか。
そして、思い出したもう一度のスラヴァはPROMSでの指揮で、場所は英国ロイヤル・アルバートホールだった。イギリスのユース・オケを振っていた。演目はショスタコーヴィッチの第10交響曲で凄演だった。五階だったか、上から眺めるスラヴァは入道のように見えた。

話をまた楽聖の最後の弦楽四重奏曲に戻そう。スメタナ四重奏団のちょっとひっそりした感じがよいのである。腹八分目みたいな。これは一般的な評価とはかけ離れているかもしれないが。今やモザイク、エベーヌ、そしてベルチャ四重奏団がベスト3を占める時代なのである。私は音楽評論家、不信任案を提出したい。私はそれなら録音が古すぎて躊躇しているカペー四重奏団を挙げたい。
それから、アメリカの団体やブダペスト四重奏団のように拠点をアメリカに移したような団体の演奏には違和感がぬぐえない。
米国は意外と室内楽も盛んである。私が滞在した1980-81年、ジュリアード四重奏団を中心とした国会図書館でのライブ録音がFMで定期的に放送されていたし、それ以外でもラサール四重奏団のコンサートのライブ録音のFM放送も数回耳にした。
私の居住地マディソンという米国中西部の典型的中都市では室内楽コンサートは数えるほどしかなく、私の滞在中はワルター・トランプラー(Va)が核となった室内楽の夕べ、ミュンヒンガー&シュトットガルト室内管弦楽団、ヤーノシュ・シュタルケル(Vc)のリサイタル、そしてカルテットではグァルネリ四重奏団のコンサートのみであった。
アメリカは大変オープンな国で、コンサートの後に、演奏者を囲んで簡単なワイン・パーティーが開かれることがあった。私はそのワイン・パーティーに参加して、ワインを楽しみ、酔いも手伝ってリーダーのアーノルド・シュタインハルト(Vn)氏と短い会話を持つことができた。長身で、青白く神経質そうな人だったが、気さくに話をしてくれ、グァルネリ四重奏団の名の由来、大学のレジデントとしての弦楽四重奏団というシステムなどの話をしてくれた。ラサールはご存知のようにシンシナティ―大学のレジデントだったし、ウイスコンシン大学にもプロアルテ四重奏団という立派な名前のレジデントが張付いていた。そしてガルネリ四重奏団はメリーランド大学カレッジパーク校に所属しているとのことであった。
そう、結構室内楽も重要な位置を占めているのであるが、弦楽四重奏みたいな内面を表現したような音楽のジャンルとなるとどうも違和感が生じるのである。何というか音楽のデリカシーみたいな要素よりも、パワーがアピールするみたいな。弦楽四重奏というのはパワーで評価される分野では全くないので。
ブダペスト四重奏団は米国にうまく適応したかもしれないが、人種の坩堝のこの新大陸ではやはり迫力みたいな要素を強める必要があったであろう。ブッシュ四重奏団はメンバーの入れ替えやフィジカルな衰えなど問題を抱えていたかもしれないが、米国で成功したとは言えないに違いない。ワルターが米国に渡って、かってのヨーロッパでの内面性を重視する音楽から、トスカニーニ調の迫力を前面の押し出したような外面的な音楽づくりにシフトして行った結果と同様である。
肉を切らせて骨を切る、そのような懐の深さが求められるのではないか、この楽聖の最後のカルレットでは。数字で割り切れるのとは対極的な世界なのである。そういう意味でスメタナ四重奏団はまことに素晴らしい。