モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K595
あと千回のクラシック音楽リスニング(35)
モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K595
〜 モーツァルトのピアノ協奏曲という形での辞世の句 〜
クリフォード・カーゾン(P)、ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団
LONDON POCL9839
(参考)
アルフレッド・ブレンデル(P)、サイモン・ラトル指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団(私家版カセット・テープ)
もう50年近くが経ってしまったのだが、シカゴ交響楽団の1980年10月の定期演奏会にラファエル・クーベリックが登場した。米国の音楽評論家ヒューエル・タークイ氏によればシカゴ響の常任をやっていたクーベリックはシカゴ・トリビューン紙のクラウディア・キャシディ女史の猛批判に遭い、常任を退いた。それ以来、シカゴ響を振っていないと書いていたのだが、WFMTシカゴのプロデューサー、ノーマン・ペレグリーニ氏はシカゴで最も歓迎されている指揮者だとアナウンスしていた。
それはともかく、そのコンサートはメインがドヴォルザークの交響曲第八番で、前プロがクーベリックの自作、次いでクリフォード・カーゾンをソロに迎えたモーツアルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488であった。
このコンサートはWFMTシカゴによりFMで放送され、そのメインのドヴォルザークはカセットに録音し、それは現在も大事に保管している。
ところが、モーツァルトの方はけちって語学用のテープ(TDKのD60)で録音し、しかもそのテープが行方不明になっている。これは当時、カーゾンというピアニストがそんな偉大なピアニストとは思っていなかったことに起因している。それにイギリスのピアニストという先入観があった。加えて、シカゴのオーケストラ・ホールのような大きな空間で、また米国という全てが“大味”な国で繊細なアマデウスの音楽をやる違和感が背景にあったに違いない。
しかし、今考えてみると、晩年のカーゾン(1982年没)のモーツァルト、名品K488、しかもOrfeoからライブの録音が出ているように、強い絆で結ばれたクーベリックとの協演という貴重なパフォーマンスだったのだ。
ところで、モーツァルトのピアノ協奏曲という宝の山で、最高傑作はという問いに対して、皆それぞれの選択があるに違いない。
私の答えは第24番ハ短調K491で、これは迷いもなく、断トツの存在である。西洋音楽からベスト3を選べという問いには躊躇するかもしれないが、ベスト5の候補である。これは学生時代に聴き始めて、未だに飽きない稀有な存在であって、もう一つの短調の作品で傑作扱いにされる第20番ニ短調K466とは比較にならないほどの高みに達していると思う。K491を聴くとK466が「作り物」に聞える。なので、ベートーヴェンはK466を作れたかもしれないが、K491は作れないであろう。実際、ピアノ協奏曲第3番作品37は同じハ短調の習作であるが、安原顕式に表現すると“いも”である。しかし、ベートーヴェンの凄いところは最後に作品131の弦楽四重奏曲や作品111のピアノ・ソナタの世界に上り詰めたことであろう。そこには幾多の苦難が背景として存在するに違いない。
そして、モーツァルトのこのジャンルで、次点というより別格なのが今回取り上げる最後のピアノ協奏曲変ロ長調K595である。この作品も素晴らしい。何というか、シューベルトの最後のピアノ・ソナタと同様、この世から遊離された“彼岸の世界”に入っている。双方とも主調が変ロ長調である。アマデウスの変ロ長調は優雅で艶っぽい。第15番(バーンスタイン&VPOの名盤がある)にしろ、第18番にしろ、そう聞こえる。ところが、この最後のピアノ協奏曲ではそうは響かない。強いて言えば「幽玄」である。色で言うと、美しい“薄紫”である。
第一楽章の出だし、なよなよとした不思議な響きが鳴り始める。この楽章では悟りきったような、「諦念」のような、澄み切った音の世界が拡がってゆく。
もともとモーツァルトの音楽は長調の作品でもさっと転調して、翳が差すような、あるいは上機嫌な人が一瞬「哀しみの表情」を浮かべるような、長調と短調の絶妙なバランスが魅力である。ところが、この第一楽章では転調で現れる「翳」の部分には、ぞっとするような、「哀しみ」などという表現では追いつかない、「死の世界」を覗くような不気味さが含まれている。
第二楽章ラルゲットは他のピアノ協奏曲と同様に「慰め」のような音楽なのだが、オケによる前奏がなく、いきなりピアノの澄み切った、孤独感溢れるモノローグで始まる。この主題が様々な楽器に受け継がれて発展してゆく。単純だが、心の深いところまで達する不思議なラルゲットである。
そして、フィナーレである。そのフィナーレには何と“わらべ歌”が登場する。「春への憧れ」K596である。「春」は「死」に置き換えられるかもしれない。数年前に亡くなった父親レオポルトへの手紙を正直に受け止めれば。ベートーヴェンの場合と同様、そこには「信仰」が存在したに違いない。
それにしても、そのフィナーレの楽章での木管も弦もデリカシーの限り、いやフィナーレだけでなく全体でもそう言える。歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」のオケの部分が”虹色のシャボン玉”と表されるが、それに匹敵する。
この作品に最初に接したのは学生時代、FM放送をエアーチェックしたカール・リステンパルト指揮ザール室内管弦楽団の演奏で、ピアニストの名は分からずじまいだった(後にミシェル・ベグネールと判明)。
その次がキングから出たSL番号のヴィルヘルム・バックハウス、カール・ベーム指揮ウイーン・フィルによる廉価盤で、これは黄金のコンビによるバックハウスの十八番なので、名演である。従って、この作品で最もよく聴いたレコードである。スケールの大きな作品を男性的に弾く、そういうイメージのバックハウスがこんな作品を愛するなんて、不思議な気がするのだが。
また、第二楽章など、一聴あんなに単純な音楽なのに、ベームが指揮するオーケストラの彫りの深い刻み、さすがである。
私はこの作品を実際のコンサートで聴いたことがない。一つには演奏が難しいし、盛り上がりがほとんどないので、コンサートでは受けないであろう。
そういう訳で、米国ではこんな作品が演奏されることはないだろうと思っていたのだが、滞米生活中、ロサンゼルス・フィルの定期演奏会のFM放送(KUSC)でアルフレッド・ブレンデルが登場し、彼がこのコンチェルトを弾くのを聴いた。バックは何とサイモン・ラトルの指揮であった。番組のアナウンスによればこれがラトルの米国デビューとのことだった。
1980-81シーズンはズービン・メータの後、カルロ・マリア・ジュリーニを引っ張ってきて後釜に据えた、やり手の理事長アーネスト・フライシュマンの力か、ジュゼッペ・シノーポリもここで米国デビュー、マーラーの第九を振った。いかにもシノーポリらしい。客演指揮では他にキリル・コンドラシン、ヘルベルト・ブロムシュテット、ソリストではマウリツィオ・ポリーニ(Pf)、チョン・キョンファ(Vn)、クリティアン・ツィンマーマン(Pf)など豪華な顔ぶれで、特にチョンはチェロが姉のチョン・ミョンファ、指揮がチョン・ミョンフンと一家総出でブラームスの二重協奏曲を、ポリーニとブロムシュテットはブラームスの協奏曲第二番を共演するという、レコードでは考えられない組み合わせが登場した。
K595に戻って、ブレンデルはインタビューでも登場し、その風貌にふさわしいような語り口でこの作品の難しさ、そもそもモーツァルトの作品を演奏する難しさを説いていた。
要するに、モーツァルトの音楽は音符の数が少ない、なのでその少ない音符に演奏者のすべてが投影される(さらけ出す)から、高度なコントロールが必要なので難しい、という内容だった。
若きラトルは大ピアニストとの協演で、神妙につけていた。ブレンデルのピアノはデリケートというよりシューベルト風に音色が少し濃く響いたが、いい演奏であった。
それで、レコードに再び戻って、現時点での私の選択は今回の主役カーゾンのソロ、バックはベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団による演奏である。
ここで、ピアニスト、カーゾンのデリケートなピアニズムを堪能する。例えば、第二楽章冒頭のモノローグ、その孤独感、そのデリカシー、その深さ。そして、全体を通してのブリテンが指揮するオケとの絶妙のやりとりは胸を打つ。
ブリテンの指揮は作曲家の余技なんていうものではない。私はDECCAの2枚組のモーツァルト交響曲集を持っているが愛聴盤である。
応えるオケも素晴らしい。この楽団はモーツァルトのピアノ協奏曲のスペシャリストで、ダニエル・バレンボエム、マレイ・ペライア、内田光子などの全集でお馴染みであるが、このブリテンの指揮のもと、指揮者の棒にぴったりと寄り添ったような絶妙の響きを醸し出している。特に第一楽章提示部の最後の部分の弦だけによる短調のフレーズの哀感なんて素晴らしい。
余談であるが、カーゾンはあの「ペルシャの市場にて」を作曲したアルバート・ケテルビーの甥に当たる。ケテルビーは何でも屋の作曲家で、その旋律の才と描写力に秀で、特にサイレント映画の伴奏としてフィットし、莫大な収入を得たらしい。
カーゾンの父はユダヤ系の古物商で、作曲家として当たったケテルビーを見て、クリフォードが音楽の道に進むのを喜んだ。
ところがカーゾンは極めて禁欲的な音楽家で、そういう音楽の方向には進まなかった。ベルリンで、同じユダヤ系のドイツのピアニストであるアルトゥル・シュナーベルに師事した。シュナーベルは録音にある種のはにかみを持っていた。しかし、後にレコーディングに対するネガティブな思考を克服し、あのSPの時代にベートーヴェンのピアノ・ソナタやピアノ協奏曲の全集を録音した。
カーゾンはその師シュナーベル以上に録音にとてもナーヴァスで、晩年に至るまでレコーディングに対する考えを変えることはなかった。時に発売日まで決まったレコーディングにストップをかけることも辞さなかったらしい。
英国通の三浦淳史氏によれば、それは1970年7月28日発売予定だった英DECCAの新譜、モーツァルトのピアノ協奏曲「戴冠式」K537とこの最後のK595の組み合わせでイシュトヴァン・ケルテス指揮ロンドン交響楽団との録音であった。レコード番号も決まっていた時点でおくらとなり、その後ブリテン&イギリス室内管弦楽団とオールドバラ(イギリス)のスネープ・モールティングズ・コンサートホールで録り直す予定という噂もあったが、と書かれている。
ところが、その噂は真だったのだ。当CDの録音は1970年、噂通りアコースティックが素晴らしいスネープ・モールティングズ・コンサートホールで、カーゾンが最高の賛美を送っていたDECCAのスタッフ、レイ・ミシュルとケネス・ウィルキンソンによってなされている。
その素晴らしい録音で、カーゾンとブリテンのデリカシー溢れる協演を楽しみたい。