弦楽四重奏曲第76番 ニ短調 作品76-2「五度」

あと千回のクラシック・リスニング(29)

 

弦楽四重奏曲第76ニ短調 作品76-2「五度」
〜ハイドンの傑作カルテット、五度聴かなくても一聴して分かる名品〜

アルバン・ベルク四重奏団 EMI CLASSICS TOCE-9160
イタリア四重奏団 日フィリップス 13PC-116

 以前、ハイドンの作品は「アジフライ定食」などと書いてしまったが、多作というだけでなく、アマデウスと比べると芸術作品としてはやはり何か足りないという気がする。
それは芸術とは天啓とも言うべき何かが作品の中に封印されて然るべきということである。アマデウスはミューズに祝福された作曲家であり、すべての作品でそれが認められる。
一方、努力型とも言うべき準天才型の作曲家も存在する。ベートーヴェンがその典型で
あろう。第三ピアノ協奏曲はアマデウスの超傑作K491と同じ調性をとっているが、K491に比べたらダイコンである。さらに、まぐれでホームランを打つようなケースもあり、「メサイア」を書いたヘンデルがその例ではないか。
ハイドンは多作家、百を超える交響曲を作り、それに準ずるくらいの弦楽四重奏曲を書いた。アジのフライ定食と書いてしまったが、時に料亭のアジの料理かと見紛う如き作品が存在するのも確かである。
米国留学中にFMでシカゴ響やニューヨーク・フィルの定期演奏会を中心としたライブ放送があることを知り、WERN-Madion(PBS系)でそれらを聴くのが日課となり1日の最大の楽しみとなったが、それらの中で国会図書館(ワシントンDC)での室内楽演奏会のシリーズがあった。
ある時、ラジオのスイッチを入れると、荘重な弦楽四重奏曲が流れ出した。ベートーヴェンでもアマデウスでもなく、誰の作品だろうと訝しく思った。そして、演奏が終り、アナウンサーがハイドンと告げた時には正直驚いた。これがハイドンの作品?ゆったりと流れる、短調の深々としたカルテットの響き。それは私が初めて耳にする「十字架上の七つの言葉」(弦楽四重奏版。この作品には管弦楽曲版やオラトリオ版、さらにはクラヴィコード編曲版が存在する。名曲である)であった。ハイドンにあるまじき感動的なカルテット!そこで考えたことはやはり宗教というものが根底になければ、真に感動的な作品は書けないのかな、ということである。上記の「メサイア」がその典型である。一方、現代では、宗教は人類滅亡の一つの要因となる可能性も有しているのだが。
それはさておき、1974年、フランクフルトでアルバン・ベルク四重奏団のコンサートの頭に組まれていた短調の作品74-3「騎士」のことを思い出した。あれっ、ハイドンも短調の作品となると印象深い作品を書くものだと感じ入った記憶がある。
暑い夏の日もハイドンのカルテットは重苦しくもなく、聴き疲れしない。それで、今年の夏は次から次にハイドンのカルテットをかけまくった。週末は自宅で、昔よく聴いたウルブリッヒ四重奏団による「太陽」カルテット、イタリア四重奏団やウィーンツエルトハウス四重奏団による数枚などを楽しんだ。
それらの中で一番素晴らしいと思ったのが、イタリア四重奏団による作品76-2「五度」である。それで、フランクルフルト・ゲーテ・ハウスでのコンサートの記憶から、アルバン・ベルク四重奏団によるCDで聴き直してみた。これまた素晴らしい。先入観なしに聴いてみると、これはまるでアマデウスの作品みたいである。
形式の骨っぽいところもあるので、ドイツのカルテットだと硬めの仕上がりとなるのだが、アルバン・ベルク四重奏団で聴くと、これはアマデウスの作品か、みたいな趣が出てくるのである。
そこで気が付いた、アマデウスの第15番K421との絡みである。同じニ短調だし。そこで、調べてみると、K421が作られたのが1783年、「五度」は1793年に作曲されている。つまり、長生きしたハイドンはアマデウスからハイドン・セットを贈られた後、しかもアマデウスの没後にこの作品を書いたのである。
K421は学生時代によく聴いたものだ。アマデウスの短調の作品、しかもニ短調である。
当時は金欠も金欠の時代、ようやく日本フィリップスからロート四重奏団による録音が廉価盤で出て、それを飽きもせずに聴いた。モノーラルのLPであったが、K421が音として聴けた有難さ、ここに極まれりであった。予想通りのアマデウスの短調の名作であった。また、カプリングされたK387、これが何とも蠱惑的魅力があった。
それはともかく、モーツァルトの没年が1791年である。K421はハイドンに献呈された6曲のセットの一つであるが、ハイドンはアマデウスの父親に「神と私の名誉にかけて申し上げますが、あなたのご子息は、私の知る、あるいは評判で知っている、全ての作曲家のうちで最も偉大な作曲家です。彼は優れた趣味を持ち、さらには、最も優れた作曲の知識を持っています」と最大級の賛辞を贈り、その才能を称賛した。
ここで、私は一つの考察を試みる。ハイドンはアマデウスのK421に驚嘆し、いつか自分も天啓あらたかな作品をと目論んでいた。そして、サリエリではないが、アマデウスが天に召されて、アマデウスの呪縛から解放されて、短調の四重奏曲の創造にトライした。それが作品76-2「五度」ではないのか。それはともかく、この「五度」にはアマデウスの影響があったことは確かであろう。
それにしても「五度」という名称は第一楽章冒頭で繰り返される五度の主題 "A - D - E - A"に由来しているという。交響曲の第88番「V字」と同様、何とも機械的な命名である、ファンタジーもクソもない。でも、そこが「パパ・ハイドン」らしいとも言える。文学的なイメージで名前を与えるには何かが足りないのである。
ハイドンの妻は彼が作曲に使った紙を壁紙として使っていたらしい。倹約家とも言えるし、一方で芸術家の配偶者としてはある意味、大作曲家に対するレスペクトが欠如しているが、「似た者夫婦」だったのかもしれない。
アマデウスの配偶者コンスタンツエは悪妻としての評価が一般的であるが、その危うさがアマデウスをインスパイアーしたのかもしれない。弟子のジュスマイヤーとの関係も明らかにされている。しかし、アマデウスが愛していたことも確かであり、彼らの綱渡り的な人生が、ある意味、アマデウスの傑作を産み出す源泉だったのかもしれないのである。
そういった意味では、ハイドンの健康的、安定した作風の存在意義もあるに違いない。
狂気とは紙一重の世界、常軌を逸した極限的世界、くさや、やシュールストレミングの世界などとは対照的な、定食の味。男女の関係でいえば安定した一夫一妻の世界、これがハイドンなのであろう。
ハイドンの弦楽四重奏曲では米国で録音したラサール四重奏団によるコンサート数回分のカセット録音を所有しているが、初期のOp.30-2の演奏がとくに印象に残っており、時々取り出しては聴く。ラサールらしくもなく纏綿とした歌いまわしで、驚く。そもそもわが国ではラローチャはスペインもの、バックハウスはべートーヴェンといった具合にレッテル化するのが常であり、ラサール四重奏団もベートーヴェン後期や近代物といったイメージが作られているが、ライブの放送ではハイドンも国民楽派もプログラムに入っており、多様な作曲家の作品を取り上げていた。この放送のアナウンサーは女性であったが、驚いたのは言い損なった部分をすぐ修正していたことである。NHKの放送ではこんなことは許されないであろう。また、ボンでのベートーヴェン音楽祭の放送では、これも女性アナウンサーであったが、サヴァリッシュとバイエルン国立管弦楽団によるベートーヴェン交響曲第五と第六番の放送で、テープに部分的なトラブルが発生したので第六番はレコード(別の演奏団体)の演奏で代用しますというアナウンスがあり、実に大らかなやり方でこれも驚いた記憶がある。
ハイドンの弦楽四重奏曲のCDでは台北で購入したコダーイ四重奏団の3枚もよく取り出す。NAXOSの廉価版なのであるが、あまり馴染みのないハイドンのカルテットを聴く分には十二分である。こちらも超名演みたいな演奏は期待しないし、そもそもハイドンでは超名演というような演奏は生まれないのかもしれない。演奏に解釈を加えるポテンシャリティが限られているためであろう。
それはともかく、ハイドンの四重奏曲、まだまだ掘り出し物がありそうだ。交響曲の方はドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカによる全集が最初に出た折は驚いたが、その後、既に数組の全集が出ており、弦楽四重奏の方も既に出ているようである。
しかし、バッハのカンタータ全集とは違って、全集を入手しても全曲を聴き通すのには忍耐を要する気がする。