ウェーバー作曲「舞踏への勧誘」

後千回のクラシック音盤リスニング(27)


ウェーバー作曲「舞踏への勧誘」(ベルリオーズ編曲)Op.65
 二つの「舞踏への勧誘」カラヤンとクナッパーツブッシュの芸風を端的に示すCD


カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団
CD: EMI CDZ 7 62504 2

 

クナッパ―ツブッシュ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CD: DECCA 440 624-2

 

カラヤンは好きな指揮者ではない。こういう人は結構多いと思う。
例えばレコードやCDは基本、芸術の缶詰であるが、一方で商品である。この二つの面で後者の比重が高いのがカラヤンである。巨匠フルトヴェングラーはレコードで稼ごうなんていう考えはなかったはずである、時代が違うにしても。もっと長生きしても、若い美人のモデルを娶り、自家用ジェット機を手に入れるなんてことには考えが及ばなかったに相違ない。
私は1974年のヨーロッパ音楽行脚でもベルリンは東ドイツを通らねばならないので、行きにくいという事情はあったにしても、カラヤンとベルリン・フィルハーモニー詣をという考えは頭の隅にさえなかった。
とは言ってもオペラの部門はじめ、カラヤンの存在は大きく、クラシック音楽の普及にも大きな貢献があったことは間違いない。それを認めるにやぶさかではない。
しかし、一方、私はこのアンチテーゼみたいな大指揮者チェリビダッケも好みでない。それは何故か、偏狭な人間の音楽だからである。スポンテーニアスではない演奏は基本ごめん蒙りたい。
前置きが長くなってしまったが、クリティカルな見方をしているカラヤンでも、凄い演奏だなというジャンルがある。いわゆる通俗名曲のジャンルである。
例えば「オペラ間奏曲集」である。ベルリン・フィルを使って、こんな演奏が出来るのかという驚きの1枚である。あざとさと精妙さ、どちらの面でも極限まで達しているのではないだろうか。とくにフルトヴェングラーも一目置いていたという得意の“レガート”、これが効いている。ウィーン・フィルであれば当然かもしれないが、ベルリン・フィルからこんな蠱惑的な艶っぽさをひき出すなんて凄い!しかも、「友人フリッツ」なんていう二流の作品までとことん磨き上げる凄さ。そして豪華さを演出する雄弁さ。
その演奏の源流とでも言うべき録音がフィルハーモニア管とのカラヤン/プロムナード・コンサートであろう。
その流れで録音されたのが今回取り上げるウェーバーの「舞踏への勧誘」である。
このCDはフィリピンにある国際研究所勤務時代、週末マニラに出かけてレコード屋で見つけたものである。当時の生活で最大の楽しみは週末の、このCD漁りであった。
当時はまだCDは普及しておらず、マニラでCDを見つけたら即買いという状況であった。しかし、どういうルートで輸入されるのか見当が付かないが、駄盤が大勢を占めるのに、フルトヴェングラー指揮BPOのシューマン第四(DG)とかクレンペラーによるシューマン交響曲全集(EMI)とかが並んでおり、玉石混交そのものであった。最も不思議だったのは日本で制作されたCD、例えばピリスによるモーツアルトのソナタ全集のばら売りがそのまま輸入されていたことである。価格は3,700円と印刷されていたが、現地の安い価格で売られていた。
とまれ、贅沢は言えない状況で買いまくったCDの中の1枚が「Best-loved CLASSICS」というEMIのオムニバス盤である。
このCDはモーリス・アンドレのソロによるクラーク「トランペット・ヴォランタリー」から始まるのであるが、5トラック目が「舞踏への勧誘」で、その鮮やかな演奏に目から鱗状態となった。CDを手に取って演奏を確認すると何と指揮はカラヤンでオケはフィルハーモニア管弦楽団であった。
名歌手の歌はその情景がリアルに浮かんでくるような特徴があるが、ここでのカラヤンの指揮は正に序奏からしてそのイメージが浮かんでくるのである。いやあ、まことに鮮やかな指揮である。ここでのリズムのキレ、盛り上げ方、ピアニッシモとフォルテの対比などなど。さらに、何とも若々しい、フレッシュな果実を味わうような快感に浸れる演奏なのである。
当然BPOとの再録音があるはずだが、もっと大家ぶった演奏となっているに違いない。レガートを利かし、もったいぶったというか。マグロで言えば、赤身から脂が乗った大トロへの変化というか。なので、カラヤンのフィルハーモニア時代ならではの名演奏と言いたい。その初々しさとフレッシュさ、これが肝なのである。
まだ、ビジネスではなく、音楽にひたむきだったカラヤン壮年期の業績。この時代、「こうもり」の旧盤もあるし、「バラの騎士」もあった。
さて、そのカラヤン盤と対照的な名演が存在する。クナッパーツブッシュ盤である。ワーグナーとブルックナーを得意とするこの大指揮者がこんな小品を取り上げるなんて信じられないが、この大物指揮者には遊びとしか考えられない録音が存在するのである。クナーパーツブッシュ「ポピュラー・コンサート」とでも称すべき2枚組である。ウィーン・フィルハーモニーを振ってウインナー・ワルツや「くるみ割り人形」などが入ったオムニバス盤である。
そう言えば、若い頃、この指揮者の並外れた巨大さに驚いた記憶がある。シューリヒトがウィーン・フィルを振った「未完成」などが入ったDECCAの廉価盤LPの余白にシューベルト「軍隊行進曲」が入っていた。そのスケールの大きさたるや、仰天ものであった。
で、上記2枚組CDのウィーンの音楽の後に「舞踏への勧誘」が入っている。これは「皆テンポが遅いと言うだろうな、きっと言うよ」というクナーの言葉通り、遅いテンポの巨大な「舞踏への勧誘」である。四角四面なベルリンではこんなアブノーマルな演奏は生まれないだろうなというぐらい、ウィーンやミュンヘン風遊び心満点のパフォーマンスである。
しかし、この巨大な表現に慣れてしまうと、この表現しかありえないと思わせるような説得力がある、これが不思議である。
また、この1枚には金子建志氏や宇野大先生が称賛するコムツアーク「バーデン娘」が含まれている。その巨大さはボスコフスキー盤と比べてみると即断できる。例えば若い指揮者がこの真似をして、形は似せることが出来ても「魂」が入らないはずである。あのワーグナーの「指輪」や「パルジファル」を得意としたこの大指揮者のみが可能な表現であるに違いない。その大きさとデフォルムの凄さ!芸術は人格の反映であることを端的に示す演奏である。それにウィーン・フィルのサウンドの美しさも加わる。さらに、「舞踏への勧誘」では末尾のチェロ独奏がブラベッツ教授である。これ以上の贅沢はない。
「アンネン・ポルカ」もよい。私はこの曲が大好きで、アンナお姉さんが扉を開けて現れ、ポルカをひとしきり踊り、「じゃあね」と言って、再び扉の中に入って様を思い浮かべる。クナッパーツブッシュの「アンネン・ポルカ」はアンナお姉さんが年増になったような趣がある。そう、「舞踏への勧誘」でも小股の切れ上がったカラヤンの指揮とは全く対照的で、その表現では年増が蠱惑的な艶っぽさを振りまく趣がある。
このCD、絶対買いの2枚組ではあるのだが、DECCAの1950年代後半の録音として音質が今一である。それが残念。