My New Year’s Music 2025
あと千回のクラシック・リスニング(33)
My New Year’s Music 2025
〜「遠方より」(Aus der Ferne)、ヨーゼフこそシュトラウス一家の最高の音楽家〜
「LEGENDARY MOMENTS FROM THE NEW YEAR’S CONCERTS」
(CD&DVD Sony 88697952062)
元旦、朝日を浴びるタンノイ・スターリングTWWが待機している。ドライブするのはラックスCL40とQuad 405Ⅱ。SACDプレーヤーはDENON SA1、とここまではほぼルーティンのラインナップで変わりはない。ここでのキーとなっているのはラックスCL40という真空管プリアンプである。私はデジカメ的にエッジがはっきりとした、一聴高解像力みたいな音は好まない。ウィーン・フィルが楽友協会大ホールで演奏したような、残響豊かな柔らかい響きが好ましい。
さて、音楽である。最初にバッハの無伴奏フルートのためのパルティータ BWB1013、次に同じくバッハの無伴奏チェロ組曲。ここまでは元旦の繰り返しのプログラムである。これも例年のルーティンで変わりはない。
バッハの無伴奏フルートのためのパルティータは元旦の厳かな空気に実にふさわしい。厳かな内容をわずか12分に詰め込んだような素晴らしい傑作である。実はバッハ嫌い、フルートも嫌いの私なのだが。
今年の元旦、変わったのはシュトラウス・ファミリーの音楽を聴きまくったことである。
それには理由がある。1月下旬にさる談話会で講演をすることになった。前半は自分の専門の話である。世界の野菜の総生産量の20%弱を占めるトマト、これが各国でトマトの種子を介して拡がる細菌病のパンデミックで大変なことになっていますよ、という話。そして後半が「新春を迎えてのクラシック音楽5選」というタイトルで喋ることになっていた。この後半のトークのため、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの流れで、新春にふさわしいのはやはりシュトラウス・ファミリーの音楽を核としたウィーンの音楽かなと観念して、では何を選ぼうかと七転八倒していた。
それでトークの流れであるが、切り出しは元旦と同じでバッハの無伴奏フルートのためのパルティータ、次がモーツアルト「フルートとハープのための協奏曲」、しかしこのコンチェルトは全曲30分弱を要するので諦めて却下。中にはクラシック嫌いという方もおられるので。この作品はジャン=ピエール・ランパル(Fl)とリリー・ラスキーヌ(Hp)によるエラート盤が定番、しかし、私は立派な演奏なのに評価が無きに等しいヨハネス・ヴァルターのフルート、ユッタ・ツォフのハープ、オトマール・スイトナー指揮ドレスデン・シュタッツカペレ盤を聴いていただこうと考えていた。
それはともかく、モーツアルトとは諦めて、メインは上記のように「ウィーンの音楽」特集を組むことにした。
さて、「ウィーンの音楽」、これは私の音楽という切り口での重要なターゲット。よって、
拙著「クラシック音楽33名盤へのオマージュ」でも1章を捧げている。
ところが周囲の楽友に「ウィンナ・ワルツ」の話を持ちだすと、芳しい答えが返ってきたことがない。「皆、同じじゃないですか」と否定的なのである。石頭的クラシック・ファンが大多数を占め、がっくりくるのである。
私は1974年、「ヨーロッパ音楽無宿」を試みた。今考えると無謀な旅であった。その旅の到達点がウィーンであった。そのウィーンに着いて早々、ひどい目に遭った。
しかしウィーンは、素晴らしい街である。国立歌劇場に楽友協会のムジークフェライン・ザール、フォルクスオーパー、コンツエルトハウス。さらにクリムトやエゴン・シーレ、美術館の数々。ワインにカフェ、甘党にも辛党にも何とも魅力的な街。ワインにカフェなどというのは当時の私には無縁の代物だったが。
何より歴史、中央墓地での大作曲家のお墓、シュテファン大聖堂(その地下のカタコンベ)、郊外に出てホイリゲでジプシー音楽やシュランメルを、その近くにはマーラーの墓という具合である。
そのウィーンの音楽で大作曲家と作品とは別に、もっとローカルな音楽にも興味を持っていた。なので、ケルンナー・シュトラッセの大きなレコード店で探しまくったのだが、そういうコーナーではオペレッタのハイライトのようなレコードが大半で目指すウィーンのローカルな音楽は見つけることが出来なかった。
しかし、日本では結構人気がある分野らしく、ウィンナー・ワルツ、シュランメル、「古きよきウィーンの調べ」などが出ていた。またその道のスペシャリストだった保柳健氏の活躍もあったのだろう。
そして、私にブレイクをもたらした1枚のレコードがあった。
それは「ウィリー・ボスコフスキー デジタルvsアナログ’79年&74年ニュー・イヤー・コンサート」という廉価盤(GT9232)だった。これは実によく出来たレコードで、単にオーディオ的な意味ではなく、内容も録音もよく素晴らしいディスクだった。
それ以来、そのアナログ・ディスクを含めて、実に多様なウィーン音楽を聴き始めた。
そして、今年の試聴で確信したことは「ウィーンの光と影」での「影」の部分こそウィーンの音楽の醍醐味ではないか、ということである。そういう意味で、ワルツ王ヨハン・シュトラウスⅡ世(以下ヨハンⅡ)、彼の作品の華麗さ、ポピュラリティーは認めた上で、私にとっては弟ヨーゼフこそ、その影の部分ペーソスの描写に秀でた音楽家に思える。
そして現時点での最高傑作は“Aus der Ferne”、つまり「遠方から」である。このポルカ・マズルカはなかなかコンサートでは取り上げられない。しかも「遠方より」などと直訳みたいなタイトルが付けられている。せめて「遥か」とか何とかに修飾するか、あるいは「遥か彼方より」と訳すべきではないだろうか。それはさておき、毎日のようにこのポルカ・マズルカを聴いている。この「憂愁の霧」のような優美な音のシークエンスの素晴らしいこと!
この作品は滅多に演奏されることはなく、ボスコフスキーとウィーン・フィルによる「ウインナ・ワルツ大全集(シュトラウス一家とその周辺の音楽)」(LONDON POCL-9736/47)
にも含まれていない。ところが、CBS Sonyから出た「LEGENDARY MOMENTS FROM THE NEW YEAR’S CONCERTS」のCD1のトリとして入っている。
ヨーゼフには生まれつき脳に故障があったらしく、はっきりとした精神的・身体的障害はなかったものの虚弱体質だったらしい。このような背景が影響したのか、陽気で明朗な性格の兄ヨハンⅡとは対照的に、控えめで神経質な性格だったようだ。
ヨーゼフの父ヨハン・シュトラウスⅠ世はヨーゼフ・ランナーとのコラボでウィンナ・ワルツを中心とするウィーン音楽の基礎を築いた。しかし、ランナー兄弟と途中で仲違いしたりして苦労を重ねた。なので、長男のヨハンが音楽の道に進むことに大反対した。次男のヨーゼフには堅い職業を、というわけで工学技士の道を選ぶこととなった。才能豊かなヨーゼフはこの道でも大きな業績を挙げている。
ところが人気絶頂のヨハンⅡ世は多忙を極め、重病で倒れてしまった、そこでヨーゼフがピンチヒッターとして登場するのである。さらに、指揮だけでなくワルツの新作を作曲しなければならなくなる。新作は「最初で最後」というワルツで、彼の状況そのもののタイトルであったが、好評裏に迎えられた。作曲家ヨーゼフ・シュトラウスの誕生である。
以後、ヴァイオリンや音楽理論など徹底して学び、本格的な作曲家として成長してゆき、兄ヨハンⅡとライバル関係となった。しかし、「オーストリアの村つばめ」など詩的な作風を確立し、「天体の音楽」などの傑作を発表。ヨハンⅡもヨーゼフの才能にはかなわないと明言している。しかし更なる名声を求めたヨーゼフは虚弱体質もあって、ついに倒れてしまう。
実はヨーゼフはシューベルトを愛し、本格的な作曲家を目指していたらしい。ヨハンⅡ作とされている傑作「こうもり」もヨーゼフがオリジンだと末弟エドワルドが証言している。
私が今回取り上げたポルカ・マズルカ「遠方から」は兄とともにロシア向かう道中で、ウィーンに置いてきた妻カロリーネへの愛と慕情を表現した秀作である。
かつて購入した中古LPで、マゼールが指揮したニュー・イヤー・コンサートのハイライト盤があった。その中で「踊るミューズ」という短い、これもポルカ・マズルカが入っており、これにも魅せられコピーしてウォークマンに入れた記憶がある。そのレコードの狙いは「天体の音楽」の方だったのだが。このLPでの2曲こそ、我がヨーゼフ賛の予兆だったのかもしれない。
もう一つ、確かニュー・イヤー・コンサートにメータが登場した折、短調の素晴らしいポルカ・マズルカが現れた。それを1枚ものや2枚物では見つけることが出来ず、ついにボスコフスキーとウィーン・フィルによる「ウインナ・ワルツ大全集」というのを買い込んでしまった。ここで、私は推察するのである。「女性賛美」、この作品は実はヨーゼフの作品だったのではないか。ヨハンⅡにはこの憂愁のメロディーは浮かばないのではないか。
それにしても、美しく、華麗なワルツを期待していたパリ市民はこの作品に戸惑ったらしい。やはりフランス人は聴覚型ではなく視覚型人間か、こんな美しい旋律を感じないなんて。
さて、たかがウィンナー・ワルツと侮るなかれ。ブラームスやワーグナーも、かの厳しい音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックも高く評価していたのである。驚くべきはシェーンベルクまでも。
演奏家にしたって、アルバン・ベルク四重奏団はともかく、あの気難しい天才ヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルがキム・カシュカシャンや彼の仲間と録音しているのである。彼のこと、もちろん「美しく青きドナウ」なんていう作品はやらないが。
ブダペスト四重奏団にいたアレクサンダー・シュナイダーも彼の五重奏団でウィーンの音楽を録音している。指揮者の大御所ブルーノ・ワルターは元よりあの慇懃なフリッツ・ライナーまで。そのライナーによるレコードは大歌手エリザベート・シュヴァルツコップが無人島の1枚として選んでいる。ハンガリー系指揮者はリズムのセンスがあるので、アンタル・ドラティ(作曲でも「卒業舞踏会」という佳作がある)やユージン・オーマンディ更にジョージ・セルまでも録音している。
シュトラウス・ファミリーはユダヤ系である。シュトラウスという姓は「ガチョウ」を意味し、ユダヤ人が姓を買った名前である。当時裕福なユダヤ人はローゼンタール(バラ)など優雅な名前が与えられたが、貧しいユダヤ人は動物名などだった。
ヨハン・シュトラウスⅠの父親フランツ・シュトラウスはウィーンで酒場を経営していたがドナウ川で溺死した。
そのようなシュトラウス・ファミリーの歴史を彼らの作品を交えながら紹介してゆこうと考えたのであるが、何せ夥しい数の作品が存在するのでこれは無理と判断し、一般向きにニューイヤー・コンサートのライブ盤やハンス・クナッパーツブッシュ指揮のカレル・コムツァークⅡ「バーデン娘」、そしてシュトラウスⅠ世「ケッテンブリュックのワルツ」(クレーメルと彼の仲間)などを選んだ。
そして最後は何にするか、さんざん考えあぐねて、やはりこの季節なのでモーツアルトの歌曲「春への憧れ」K.596 で締める、これで行こうと決めた。
ここで解説風にK595のアマデウス最後のピアノ協奏曲第三楽章の冒頭をクリフォード・カーゾンのソロ、ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽の演奏で流す。
談話会は女性の参加者が普段より多めだったかな、という印象で報われた気がしている。