ネタニア・ダヴラツによるロシア、イスラエル及びユダヤ民謡集

 後千回のクラシック音盤リスニング(26)

ネタニア・ダヴラツによるロシア、イスラエル及びユダヤ民謡集

 ダヴラツ「オーベルニュの歌」ではない、もう1枚のCD

ネタニア・ダヴラツ(Sop
CD: Vanguard Classics
 OVC8058/59

今年の夏は暑い。夏は暑いに決まっているが、オリンピックでの記録の進化と同様、日本の夏の暑さも記録を更新している。
で、「夏は海」である。私は「鴨川亭」に移動し、海風を入れながらボケッーとして音楽を聴く、冷えたビールか白ワインを準備して。
そして、この暑さの中で何を聴くか、シベリウスの交響曲が体感温度を下げるのに最も効果的のような気がする。例えば第四番イ短調、まるで氷の結晶を眺めているようだ。かき氷的な趣がある。あるいは第三番ハ長調、フィンランドの草原を散策しているようで、これもよい。まるで快い涼風を愛でる旅に出ているような気分に浸れる。
この応用問題でもっと南に移行すると、カントルーブ編「オーヴェルニュの歌」がまず頭に浮かぶ。LP時代のダヴラツの名唱と魅力的なジャケット、永久保存盤である。
ダヴラツの「オーヴェルニュの歌」は初の全曲盤。彼女の前にはSP時代のグレイ盤しかなかった。ダヴラツ盤のヒットの後、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス、ドーン・アップショウ、キリ・テ・カナワ、フレデリカ・フォン・シュターデなど名盤目白押しの人気曲となった。
そして、このダヴラツ、私にはもう一つ大切な録音がある。今回取り上げる彼女のロシア及びユダヤ民謡集である。正確には「ロシア、イスラエル及びユダヤ民謡集」となる。
このCDはかって秋葉原でCDを買い漁っていた時代に見つけた衝動買いの2枚組である。
ロシア民謡、我が青春時代の、懐かしい「モスクワの夜」や「行商人」など有名な曲も含まれてはいるが、ほとんどが一般的ではない民謡である。中でも極め付きが「Proschchanie Moriaka」、英訳では「Sailor’s Farewell」となっている1曲である。涙腺が弱い私はこの曲にやられてしまう。この4分30秒という長めの唱を聴く度に涙が出そうになる。短調好きの私には連載(18)で取り上げたポルトガルのファド同様、この「別れ」というテーマが大きなインパクトを持つ。
ダヴラツはウクライナ出身のソプラノで、イエルサレム音楽院、イタリア留学を経て、1956年にテル・アヴィヴでデビューを果たした。その後、ジュリアード音楽院に留学してジェニー・トゥーレルの薫陶を受けた。従って、レナード・バーンスタインとの共演をはじめレオポルド・ストコフスキーやモース・アブラヴァネル等ユダヤ系の著名な指揮者達と共演した。しかし、オペラの分野がメインにならなかった結果がこのような分野での名唱を生み出したともいえる。
写真を眺めるといかにもユダヤ的な美人である。いや一癖ある美人とも言えそうである。ヤナーチェクの「消えた男の日記」に登場してもらえば、ぴったしのキャラとなるかもしれない。
話は少し逸れるが超が付く美人や美男子はユダヤ系が多い。女優のエリザス・テイラーやメリル・ストリープ、男性ではダスティン・ホフマンなどなど。生物学的に見ると、ユダヤ人の世界的分散による準ハイブリッド効果ではと考察する。つまり遺伝的距離が離れた男女がユダヤというキーワードで結ばれる。そうするとハイブリッドに近い形の次世代が誕生する、そういう現象ではないだろうか。
さて、ユダヤの力はそのような場面よりも、ロスチャイルド家はじめ金融界での支配の歴史、また科学や芸術の分野における功績は枚挙にいとまがない。
一方で忌むべきホロコーストの長い長い歴史、最悪のケースがナチによるユダヤ人撲滅作戦である。1938年のオーストリア併合もオーストリア国民は実際は歓迎であったらしい。経済界はユダヤに支配され、恨み骨髄だったようだ。ヒトがヒトを殺す最大の要因がお金ということになるのだろうか。もっと広く捉えると、人間の“欲”ということになるのかもしれない。
音楽の世界ではユダヤ人のヴァイタリティ―とマネージメントの上手さを直感する。
例えば、母親と娘の両方と同時に恋愛関係を結ぶ。こんなことは日本人の私には想像もつかない行為であるが、私の記憶では古くはオペラ台本作家のダ・ポンテ、そして大ピアニストであるシュナーベルとルービンシュタイン。これもユダヤ系の凄さの一つではと考察する。そのヴァイタリティと奸智。
そもそも、ユダヤ系がどうこうという話ではなく、音楽の世界はユダヤ系抜きには成り立たない。私が青春旅行でヨーロッパを訪れた折、最後に聴いた音楽はマニュエル・ロザンタール指揮パリ・オペラ座管弦楽団によるグラズノフ作曲のバレエ「四季」だったが、その晩の中心のロザンタールはユダヤ系、そして天井画はユダヤのシャガール『夢の花束』というタイトルの作品で、当時の文化大臣アンドレ・マルローの依頼によって1964年に制作されている。その旅で出会ったギレリス、マゼール、インバル(何とバイエルン国立歌劇場で「運命の力」を振った)、バレンボエム、ペーター・シュナイダーとキリがない。
私はイスラエルには2008年に一度だけ訪れたことがある。イエルサレムが中心であったが、何かすべてが田舎臭く感じられた。しかし、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」を教会で聴く機会があり、いたく感動した。以来、この作品は我が人生の1曲となっている。それと、これまでで最高に美味しいカバブ―(BBQ)に出会った。酒が出なかったのが悲しかったが。
さて、このダヴラツによるロシア民謡集のレーベルはVanguard Classics(米OmegaRecord)で、主要アーティストはL.クラウス、オイストラフ、エルマン、ゴルシュマン、モントゥー、アブラヴァネル、ストコフスキーなど、ジャズでもビル・エヴァンスとユダヤ系大物が圧倒的に多く、またリマスターにより優れた録音が多い。
ユダヤの象徴的楽器というとヴァイオリンとクラリネット、エルマンのソロによるヘブライ・メロディ集など、寂しい、悲しい旋律が次々と現れて、私は魅きつけられる。しかし、ブロッホのヴァイオリン協奏曲となると、これはユダヤ色濃厚な「シェロモ」(スラヴァとバーンスタインによる映像盤の凄さ)と同様、ユダヤ色が強すぎ、普遍的な名曲にはならないだろうなと考える。そう言えば、このVanguardで超有名な録音、シゲティとバルトークによるワシントン国立図書館でのライブ録音、これもユダヤ系大物音楽家の組み合わせである。
再びネタニア・ダヴラツに戻って、彼女は8か国語を操る才能を持っていたというが、メインの言語以外は微妙なクセがあったにちがいない。そのクセみたいな要素が彼女のフランス語にもあったはずで、そもそもオーヴェルニュ地方の言葉も典型的方言なのかもしれないが、それが個性的な歌唱となっているに違いない。なので、あとの蒸留水的美声のソプラノやメゾソプラによる「オーヴェルニュの歌」とはやや趣を異にする。
猛暑の夏は、冷えたビールを用意してこの「ロシア民謡」と「オーヴェルニュの歌」を愛でたい。

*参考「ダヴラツを聴くためのオーディオ」
どうせならこの「ロシア、イスラエル及びユダヤ民謡集」にしても、「オーヴェルニュの歌」にしても、重苦しい低域は抑え気味にし、高域と超高域が素直に伸びたスピーカーでソプラノの名唱を聴きたい。
私は真空管アンプ主義であるが、冬は暖房用としては役に立たず、夏は恐ろしい程に放熱する真空管アンプは視覚的な観点からも避けたい。

私の実験の結果では、プリのラックスCL40、これは大した熱は発しないので、これを使い、パワーはファンが付いたヤマハMX-1000にし、スピーカーは元々温かい音を出すハーベス・コンパクトHLは避けて、ウィーン・アコースティックT3G-Bを組み合わせる。
この組み合わせでは高域から超高域への伸びが素晴らしく、これで決まりという気分になる。
しかし、さらに欲を出すなら、コンデンサー型スピーカーを誂えたいところだ。コンデンサー型の超微粒子の集合体みたいな、脂抜きのサウンド、これで聴いたみたい。
Quad 63、Quad 63 Pro、いやQuad 57でもよい。私の周りのオーディオの仙人みたいな人だけでなく、ウルトラ・ワイド志向や大型タンノイを愛聴している人たちもQuadのコンデンサーやSTAXのそれに戻りたいというマニアが結構いる。しかし、湿気が多い日本の気候下では、メンテが大変だそうである。
住環境の理想は米国と言われるが、私の経験ではオーディオに関しても米国が理想郷のような気がする。滞米中に所属研究室の教授にクリスマスに家族で招待され、そこで音楽マニアだった教授の装置で音楽を聴かせてもらう機会があった。アルティックの大型スピーカーをSonyのアンプでドライブするという装置で、何枚かのLPレコードを聴かせてもらったが、硬い音という予想に反して、柔らかい、雅やかなサウンドが鳴り始めた時の驚きを思い出す。曲がシューベルトの八重奏曲であるというのも効いていたはずではあるが。
米国の住環境はまず天井が高く、空間が広い。音が伸び伸びと出て来る。空気の乾燥もあるだろう。大学アパートに帰宅の折、ドアのノブに素手で触るとバチっという静電気にやられるほどである。雪だるまも固まらない。
その滞米時、教授からも学生達からも日本が有名なのはガソリンを食わない小型車とラビット・ハウスだとよく話題に上ったものである。あと、意外なことにパーティーや食事会の折、梅酒がJapanese plum wineとして人気があるが不思議だった。
私が米国に滞在したのは1980-1981年であるが、当時もまだ米国ではガソリン価格の高騰が大問題で、中古車の店に行くとGMの立派な大型車の横に並んでいるホンダの小型車が同価格で驚いたものである。車は足、ガソリンの値上げに対する米国民の恨み骨髄を垣間見たものである。教授はAMOCOのWFMTシカゴの放送のスポンサーシップは同会社の唯一の善行だと皮肉っていた。
米国中西部、西海岸、あるいはバンクーバー辺りで、広い空間にコンデンサー型スピーカーを置いて、オーヴェルニュの歌を聴いてみたいものである。もっとも、そういう場所では避暑に気を遣う必要もないであろうが。