ブルックナー:交響曲第八番ハ短調

あと千回のクラシック・リスニング(31

 ブルックナー:交響曲第八番ハ短調

〜ブルックナーの円熟のシンフォニー、ヨッフム&バンベルク響の地味だが感動的な演奏〜

オイゲン・ヨッフム指揮バンベルク交響楽団(Altus:ALT-022/3

 

アントン・ブルックナーの交響曲との付き合いも長くなった。半世紀を超えてしまっている。
最初に手に入れたのは第七番である。カール・シューリヒト指揮ハーグ・フィルによるコンサートホール盤であった。
当時は学生時代で、LPレコードを買うのは大変だった。ブルックナーのレコードはたいていが2枚組、グスタフ・マーラーもそうだった。2枚組のレコードなんて、なかなか買えるものではなかった。その点、シューリヒトのコンサートホール盤は1枚に収まっており、ということはテンポが速い、冗長なブルックナーではそれも効くのではと熟考を重ねての購入であった。
当時は所有するレコードの数も限られており、何度も何度も聴いたはずである。しかし、スケルツォ以外はどうも心に沁み込んで来るものがなかった。ところが、1974年冬にホーエンザルツブルク公園のベンチにひとり座っていて、眼前のアルプスの秀峰に気づいた折、このスケルツォが突然響き始めた。
 次がオイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルによる第九番、続いてオットー・クレンペラー指揮ニューフィルハーモニア管による同じく第九番。この2枚は第九番という大傑作なので、じわじわと良さが分かってきたというか、それ以上の存在となってきた。今ではブルックナーの交響曲から一曲と言われると、確信を以ってこの第九番と答えることができる。
そして、二番目という存在が今回取り上げた第八番である。この作品はずっと気になっていて、ハンス・クナッパ―ツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルによるウェストミンスター盤が欲しくて購入リストに加えていたものの何せ2枚組である。買えずじまいで終わってしまった(後に中古LPで購入)。
時は経ち、1980年10月から米国のウィスコンシン大学に留学する機会を得た。その大学の街、州都でもあるマディソンはシカゴまで3時間弱、何とか月に1,2回は通えるかなと、渡米前にシカゴ響の定期会員券を予約した。そして、マディソンに着いて4日目、グレイハウンド・バスに乗ってシカゴへ向かった。当時のシカゴ響の常任はゲオルク・ショルティ、そのショルティ指揮によるマーラーの第八交響曲がその日のプログラムであった。これはシカゴ響創立90周年に当たるシーズンのオープニング・コンサートであった。
しかし、凄い演奏であることは分かったが、感動とはほど遠い演奏でもあった。そもそも、大曲であるこの第八はFMで数回聴いただけで、感動に至らなかったのはこちらの責任である。しかし、この大曲をきびきびと裁いてゆくショルティは強く印象に残ってはいるのだが、僧兵がなぎなたを振るような、角ばった指揮ぶりと出て来るサウンドはどうも違和感を覚えたものである。
翌月はクーベリックが得意のドヴォルザーク第八交響曲を振った。前プロはクリフォード・カーゾンをソロとするモーツアルトのK488のピアノ・コンチェルト、悪かろうはずがないコンサートであった。
そして、第八交響曲シリーズの三番目がダニエル・バレンボエムによるブルックナーの第八であった。振り返ってみると、これが私のブルックナー開眼ともいえる体験となった。
このアメリカでの1年間は自分の音楽歴で、マーラーとブルックナーに大きく近づくことができた年であった。マーラーの場合はクラウディオ・アバドやズービン・メータなどいろんな指揮者のコンサートやFM放送での積み重ねであったのと対照的に、ブルックナーはたった1回のコンサートとそれを録音したFM放送を繰り返したことによって開眼したと言える。このことはブルックナーの音楽の性格を間接的に反映しているような気がする。
バレンボエムが指揮するブルックナーの第八交響曲のコンサート、時はちょうど12月に入っており、シカゴの街はクリスマスを迎える雰囲気が漂っていた。ダウンタウンにあるグレーハウンド・バス・ターミナルからコンサートホールに歩いて向う途中、街路の沿った、それぞれの店は多様なクリスマス用の飾りつけをしており、目を見張った。その中のいくつかディスプレーには、例えば真っ白な雪原にコウノトリが舞い降りる姿が飾られ、それを真剣に見入っている黒人の親子の姿がとても印象的だった。
さて、コンサートホールに着いて、時間の余裕もあり、ホールの外側に展示されているディスプレーを眺めながら写真を撮った。ショルティはもちろん、その前のジャン・マルティノンなど歴代の音楽監督の写真が展示されていた。
そのコンサートはブルックナーの第八シンフォニー一曲だけのプログラムであった。バレンボエムがゆっくりと登場し、会場全員が注視する中、彼の指揮棒が一閃すると、冒頭の和音がマッスとなって響き渡った。それを見下ろす形で観察していた私は呆気にとられた。バレンボエムは頭のてっぺんまで紅潮し、その熱エネルギーが彼の頭髪の一部を吹き飛ばしたかのように髪がなくなっていた。ふーむ、これくらいのエネルギーがなければジャクリーヌ・デュ・プレは娶れないか。
シカゴ響の音響はさすがで、私が予約した後方の席でも大き過ぎるような、バレンボエムのエネルギッシュな指揮ぶりに対応したグラマラスなサウンドを産み出していた。フィナーレのはじめの部分など、椅子が振動し始めて、お尻がむずがゆくなってきたほどである。このような体験はウイーンのムジークフェライン・ザールでのヴァツラフ・ノイマン&ウイーン・シンフォニカーによるチャイコフスキー「悲愴」の第三楽章以来であった。しかし、ここのオーケストラ・ホールとムジーク・フェラインとでは空間の大きさがちがう。それにしても、この頃のバレンボエムはフルトヴェングラー流の音楽造りをやっていて、テンポもダイナミックに動かすため、余計に興奮したのだろうと思うし、ある意味わかり易かったのであろう。とくに第一楽章終結の部分やフィナーレの冒頭とコーダの凄かったこと。
しかし、こんな熱い音響だけに圧倒されたわけではなく、もう一つとても印象に残ったことがある。それが第三楽章のアダージョである。その出だしは嵐の後の海のように、何かほっとする光景を想像させるものであったが、音楽は徐々に宗教的感情を喚起するような深さと高まりを含み始め、後半では一種、名状しがたい恍惚とした心理状態に陥ったのである。と同時に来しなに眺めた、あの雪原とコウノトリを題材としたディスプレーが目に浮かんできた、といえば出来すぎか。
実はこのコンサートでブルックナーの第八の全体像を掴んだわけもなかった。幸運だったのは、このコンサートのライブ録音が翌週にWFMT-シカゴによって放送され、それをカセットテープに録って何回も何回も繰り返し聴くことができたことである。あまりにも繰り返したため、第一楽章の終結に向う部分の印象的な旋律を、まだ4歳の娘が口づさむようになったほどである。再び、ふーむ、ブルックナーの旋律は4歳の子供にも歌えるほどのものか、これも驚きであった。目から鱗の体験だった。
この第八はブルックナーの代表作として挙げるに足る立派な作品だと思う。帰国後、バンベルク交響楽団のコンサートのFM放送でヨッフム指揮による第八交響曲の演奏を聴いた。これもよかった。どの版だったのだろうか、少しコンパクトになったような気もしたが、スポンティーニアスで、かつ厳かな雰囲気が漂い、感動的だった。これをエアーチェックしたカセット・テープもよく聴いた。あの後藤美代子アナウンサーの語り口や声が懐かしい。その演奏がCDとして発売された折、すぐに飛びついた。カセット・テープではダイナミック・レンジやノイズの問題からヴォリュームを上げるには限界がある。そして、ブルックナーの交響曲はある程度「音の洪水」を浴びるような音量が必要であろう。
さて、どの演奏を選ぶかということになると、私はこのヨッフム盤を選びたい。ブルックナーは上意下達型のワンマン指揮者の演奏でも、垂れ流し的な下意上達型の演奏でもよくない。
現在、結構な数のブルックナー第八のCDが我がCD棚に並んでいるが、世評高いヴァント盤は名演だと思うけれども、「理」が勝るような印象を与える演奏である。細部まで彼のロジックにこだわったというか、そういう勁さがブルックナーの「鈍臭さ」や「優柔不断」と相反する印象を与える。それに、彼がベルリン・フィルを振った録音というのはどこの国の批評家も絶賛するような商業主義的なCDではないだろうか。一言でいうと、「豪華すぎる」のである。スケールの大きさや構成感などは感服するけれども。それに、このスーパー・オーケストラはかってのドイツ的な楽団ではなく、インターナショナルなオケ、ちょっと鄙びたサウンドの方がぴったし来るように思えてならない。
といことになると、クナッパ―ツブッシュ&ミュンヘン・フィル盤となる。クナーは豪傑、版の選択にしてもいい加減。演奏の精密度ではヴァント&ベルリン・フィル盤にとうていかなわない。しかし、「男は度胸」みたいな豪快さがある。プレイバックを聴いて修正、修正なんて姑息なことはやらない。
もう1枚は上記の実際に生を聴いたバレンボエム&シカゴ響の録音(私家版)である。どんなCDやLPレコードの演奏もやはり生にはかなわない。もうかなりへたってしまったが、コンサートを聴いて翌週のWFMTシカゴによるFM放送。これにはバレンボエムによるブルックナーの演奏だけでなく、当時の空気みたいなもの、周辺の雑多な記憶まで収録されている。何より、これまで聴いた回数が最も多いブルックナー第八の演奏なのである。
最後に、この演奏に関連して、ブルックナー演奏におけるアメリカン・サウンドについて考えてみたい。
ブルックナーの音楽は彼がオルガン奏者であり、それがベースにあって、もっと多様な情報を発信できるオーケストラで彼の世界を表現したものではないだろうか。
なので、バランス上、ブラスが必須なのであるが、これは両刃の刃的な危険があって、派手に鳴らせばよいというものでは絶対ない。
米国はブラス王国である。なので、ブラス奏者はブルックナーは遣り甲斐のあるターゲットであろう。
アメリカのブラスに関しては一つの苦い思い出がある。私は所属していた大学の音楽学部のオケでシューマンの交響曲第四番を聴いたが、ブラスバンド付きオーケストラという印象で、シューマンのロマンもへったくれもない健康的、開放的なブラスの響きであった。しかし、これがある意味、米国のオーケストラの本質ではないかと考える。クリーブランド管を世界一と言われるほどの楽団に育て上げたジョージ・セルはヨーロッパの伝統的バランス、とくにウィーンやチェコのそれが背景にあって、それに米国的な機能性を加えるという戦略をとったのではないだろうか。
朝比奈隆が高齢でシカゴ響の定期でブルックナーの第五を最初に振った時、倍管でという希望を出したところ、Tp.のアドルフ・ハーゼスやHr.のデイル・クレヴェンジャーはそれには及ばない、その分我々が強く吹いてカバーするのでと言ったらしい。その発言には巧さやパワーは確かに世界一かもしれないが、ブルックナーの音楽の表現という意味ではどうなのか。先のベルリン・フィルのスーパー・オケに対する疑問と同質の疑問提起となるが。
やはり弦とのバランス、壮麗ではあるが、少しくすんだようなブラス。おかしな表現に違いないが、「含羞」のサウンドみたいなものがふさわしいような気がする。それとブルックナーの基本でもある「宗教的な荘厳」が必須であろう。その点、ウィーン・フィルのブラスは素晴らしいと思うが、オケ自体が軟体動物的体質があるので、やはりドレスデンかミュンヘンあたりか、理想的なサウンドは。あるいはロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボー管。その点、バンベルク交響楽団は申し分ない。
振り返ってみると、我が青春時代に福岡でこのオーケストラのコンサートに接したことがある。指揮者は当時あのヨーゼフ・カイルベルトだった。それにあのケルテスがようやく自分のオーケストラを手に入れた、いや常任が決まっていた、それもバンベルク交響楽団だった。もしテルアヴィブでの事故がなければ、このバンベルク響も化けていたかもしれないのだ。
あれやこれやと思いめぐらすことが多いこのブルックナーの第八のCDである。