ヘンデル: オラトリオ「メサイア」
あと千回のクラシック音盤リスニング(45)
ヘンデル: オラトリオ「メサイア」
〜 忘れられつつある大作曲家の宗教的大傑作 〜

◎オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団
エリザベ-ト・シュヴァルツコップ他、フィルハーモニア合唱団
WARNER CLASSICS 9 93546&47-2

◎ヘレン・ドナート他、ジョン・オールディス合唱団
カール・リヒター指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
DG 9716-8 (LP)
クリスマス・シーズンとか年末、日本ではベートーヴェンの第九であるが、ヨーロッパや米国ではチャイコフスキーの「くるみ割り人形」、フンパーディングの「ヘンゼルとグレーテル」、そしてゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの「メサイア」である。
私は学生時代から年末は、とくに大晦日には有名な、フルトヴェングラー指揮のバイロイト音楽祭でのオープニング・コンサートのLPをターンテーブルに載せて、ベートーヴェンの第九を聴くことにしている。まあ、これは全く私的な儀式である。師走になるとコンサートで量産される第九には抵抗を覚えるが、その年を振り返りながら、締めの音楽として聴くにはとてもよい。
一方、「ヘンゼル」や「くるみ割り」は年末に限らず時折聴きたくなって、CDやLPを取り出す程度である。「ヘンゼルとグレーテル」、私はアンドレ・クリュイタンス指揮ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI)という録音では珍しい組み合わせの名盤を愛聴している。「くるみ割り」の方はアンタル・ドラティ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管かアンドレ・プレヴィン指揮ロンドン響盤である。カラヤン&ウィーン・フィルの抜粋版もよい。DECCAによるウィーン・フィルの録音は素晴らしい。
さて、「メサイア」である。私はこれまでこの作品の実演に2回接している。一度目は滞米時、ウィスコンシン大学のシアターで地元のオケと合唱団とソロイストによる演奏、2回目が当時顧問をしていた会社の常務が所属する三田合唱団OB会の定期演奏会である。
ウィスコンシンでの「メサイア」では当日券を買うためチケット・オフィスの列に加わった。すると、ひとりの青年が近づいてきて、「余分なチケットが1枚あるので、いかがですか」と問うてきた。私はその申し出を有難く受けることにした。
その「メサイア」であるが、この公演の記憶はほとんど残っていない。例の「ハレルヤ・コーラス」に入るやその青年はじめ全員起立し、歌い始めた。それが慣習であることを後で知った。
この第二部最終曲「ハレルヤ・コーラス」、ベートーヴェンの「歓喜の歌」と同様、このような名旋律が、しかも誰でも歌えるような平明な旋律がよくぞ作れるものだといつも感心する。
1743年、ロンドンでの初演の折、国王ジョージ2世が、「ハレルヤ」の途中に起立し、後に観客総立ちになったという逸話があるが、現在では、史実ではないとされている。
その最初の「メサイア」体験は、そのハレルヤ・コーラスだけが記憶に残っていて、超有名な宗教曲なのに、ヘンデルの音楽はやはりつまらないなという印象を受けた。
ところが、次の三田合唱団OB会の公演、私はこれには心底感動した。最初の序曲(Sinfony)からして、荘厳なまさにGraveの響き。それから第26曲「ハレルヤ・コーラス」でピークに達し、終曲「アーメン・コーラス」に至るまで感動の連続であった。
何故こんな差が生まれたのか、全く分からない。質的には前者の方がより数等レベルが上であったはずである。
ところで、ヘンデルというとヨハン・セバスティアン・バッハと同年生まれの大作曲家、中学校や高校時代、音楽室の壁には「音楽の父・バッハ」、そして「音楽の母・ヘンデル」と並んで肖像画が飾ってあったと記憶している。
クラッシク音楽に馴染み始めた頃、「水上の音楽」とか「王宮の花火の音楽」などポピュラーな作品からコンチェルト・グロッソ、つまり合奏協奏曲作品6などまで結構目にしていたような気がする。例えば、遠山一行「名曲の楽しみ」の「百選のレコード」の中には、「メサイア」は当然ながら、他に「水上の音楽」と上記の合奏協奏曲が含まれている。百選の中に3作品というのは相当な評価と考えるべきであろう。
しかし、近年バッハはあらゆるジャンルで最高峰の評価を得ている大作曲家であるのに対し、ヘンデルの作品は退屈でつまらないというのが大方の見方ではないだろうか。
録音にしたってバッハのそれは膨大な数に上り、ヘンデルは足元にも及ばない。バッハの最高傑作「マタイ受難曲」は全曲演奏に3時間近く要するにも拘わらず、数えきれないほどのCDが出ている。クラシック音楽の平均的な聞き手である私でもリヒター盤3種、メンゲルベルク盤、マウエスベルガー盤、クレンペラー盤、ヨッフム盤、レオンハルト盤、ガーディナー盤、さらにはバーンスタイン盤とCD棚に並んでいる。映像でもリヒター盤とクレオバリー盤がある。
基本、私にとってバッハは苦手な作曲家である。完璧すぎる、立派過ぎる、幾何学的である。結果どの演奏を聴いても「額縁入りの音楽」みたいなものを感じてしまう。なので、マルタ・アルゲリッチのバッハ・アルバムは痛快で、愛聴盤である。
それはそれとして、バッハは同曲異盤まで進むのに、ヘンデルは名曲単盤に留まる。いや、ヘンデルの音楽は基本メリハリがなく、単調で延々と似たような旋律が続く。それは生来、大食漢で楽天的であったヘンデルという人間に起因するのであろう。
イタリアで大活躍だったヘンデル、その後ドイツ北部のハノーファーに行き、選帝侯に気に入られ、宮廷楽団長となる。その理想的な職を得ていながら、休暇を取り、英国に渡った。そして、予定の1年間の休暇をとり、1710年にロンドンを訪れると、ヘンデルはそこで2週間という速さでオペラ「リナルド」を書き上げる。するとこれが大成功を収め、これをきっかけとして、1712年よりロンドンに定住するようになった。つまり、ハノーファーでの仕事を放り出した形となったのであるが、なんとハノーファーでヘンデルを雇った選帝侯は1714年にイギリス国王ジョージ1世となる。数奇な運命ではあるのだが、ヘンデルはその後もジョージ1世と良好な関係を続けた。つまり、憎めない、調子のよい人間の典型なのであろう。
今回採り上げたこのオラトリオ「メサイア」はそのようなヘンデルの唯一例外的な作品、立派なオラトリオだと確信する。
宗教曲なので「神ってる」のは当然かもしれないのだが、これがヘンデル?と言いたくなるほど本当に神っているのである。デとルの間に「ア」を入れたくなる。しかも、この作品にはヘンデルの性格を反映してか、荘厳さの中にもある種の明るさや平明さもある。それにしても、ヘンデルに何が起こったのだろうかと訝しく思うのであるが、まあヘンデルに起こった奇蹟とも言うべき音楽と言えようか。
この作品は素晴らしい。何故、米国で初めて接した時、感動に至らなかったのか不思議である。
現在ではヘンデルのオラトリオの代表作とされるが、『メサイア』はヘンデルの他の作品とはかなり異なっている。この作品はヘンデルの唯一の宗教的オラトリオである。
まず序曲からして荘重な響きで素晴らしい。ヘンデルは「Synfony」(シンフォニア)と記しているがフランス風序曲である。
上記したように、この序曲から、「ハレルヤ・コーラス」をピークとし、最後の「アーメン・コーラス」まで感動の音楽が続くのである。
とくに、第2部「受難と贖罪」 (第22曲~44曲)は第1部とは対照的に劇的な要素が多く、宗教的にも最も感動的な部分である。
第23曲は「彼は侮られて、人に捨てられ」はこの作品で最も長い曲で、ヘンデルが泣きながら作曲したといわれる最も感動的なアリアである。 第33曲は「門よ、こうべをあげよ」は冥府に落ちたキリストの魂が復活するための城門を開ける有名な合唱である。
第二部の最後に歌われる、第44曲の「ハレルヤ・コーラス」は全曲中の圧巻で、この曲だけ単独に演奏されることも多くあるほどの人気曲で、鉄槌により主の栄光が再び地上を照らした後の、主の栄光の国の訪れを賛美する。
第三部第48曲でのバスのアリア「 The trumpet shall sound ラッパが響いて」も有名で、ここでのトランペットの響きも印象的である。そして、最後の第53曲は「屠られた小羊こそは・・・」で始まる有名な「アーメン・コーラス」で、ヘンデルの雄大な合唱フーガの典型であり、大曲を締めるにふさわしい。
さて、私が愛聴している「メサイア」はカール・リヒター盤(LP)とオットー・クレンペラー盤(CD)である。エイドリアン・ボールトやトーマス・ビーチャムはじめ英国の指揮者が活躍する、この「メサイア」であるが、私が選んだのはこのドイツ人二人が指揮した演奏である。「メサイア」は”Mesia”なのだが、ドイツ語では”Der Messias”、フランス語では”Le Messie”と冠詞が付く。これも不思議である。
リヒターの録音は旧盤があって、ドイツ語版であったと記憶していたが、それは記憶違いであったかと思われるほど、近年その旧盤は全く表に現われない。
私が聴いているのはリヒターの新盤、とは言ってもロンドン・フィルを振った1972&73年録音の英語盤である。マタイ受難曲の新盤もそうなのであるが、もうリヒター特有の峻厳さが後退している。しかし、ヘンデルにはその方が適合しているかもしれないし、リヒター本来の求心性、彫の深さ、気迫はバッハには必須かもしれないが、ヘンデルの音楽の本質とは矛盾するのかもしれないので。
しかし、プラス思考でシャキッとしないヘンデルの音楽に補強工事をして骨格を入れたり、料理の味付けでスパイスをきかせたり、少し緩んだバッハ風音楽に仕上がってはいまいか。
リヒターは録音当時、ミュンヘン大学に留学していた知人W氏によればもう女と酒に溺れていて、ひどい状態だったらしい。信じられない話ではあるのだが。
リヒターはヘンデルを高く評価していたらしく、ヘンデルの有名な作品はほとんど録音しているし、オラトリオも「メサイア」の他に、「サムソン」まで入れている。国内盤ではかってリヒター盤しかなかった貴重な録音である。
この「メサイア」の新盤はオリジナルの英語版、オケはロンドン・フィル、合唱もジョン・オールディス合唱団、独唱人も英語圏出身者、さらにオルガンまで英国にこだわった布陣で臨んでいる。まことに立派な演奏である。
クレンペラーはスケールが大きく、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」の名演を残した指揮者なので、この「メサイア」も厳しく、深い音楽に仕上がっている。
ソプラノが例の如くエリザベート・シュヴァルツコップであるが、英語で唄っているせいか今一で、目立つ役だけに惜しい。
それから、Harmonia MundiのあるBOXの中に入っていたドイツ語版のカッチュナー盤も時々取り出す。リヒター盤の「気合い」もクレンペラー盤の「厳粛」とも異なり、平明な、近くの街の教会での演奏みたいなインティメートな雰囲気があって悪くない。
私は「メサイア」に関してはリヒター盤とクレンペラー盤で十分だと考えているのだが、因みに英国ではどういう評価が与えられているのだろうかと、The Penguin “Guide to Compact Discs”を捲ってみた。その結果、私の愛聴盤二つは推薦リストに入っておらず、 英国式レコード評で最高の三ツ星を獲得しているのはショルティ盤を除き、ピノック盤、ガーディナー盤、C.デイヴィス盤、マッケラス盤と英国もしくは英国系で占められていて、さらに驚くべきことに最高位の位置づけとなる花マークはビーチャム盤に与えられている。「British way」とも称すべき評価である。
そもそも、バッハのマタイ受難曲、ヨハネ受難曲と並ぶ、よく知られた宗教的大作なのであるが、バッハの『マタイ受難曲』がメンデルスゾーンによる復活上演を必要としたのに対し、「メサイア」の上演はヘンデルの生前から現在まで連続している。この対照も不思議である。ユダヤ人フェリックス・メンデルゾーンが蘇演したというのも。
何はともあれ、この不思議だらけのヘンデル「メサイア」、年末に拝聴するに値する大作と言ってよいであろう。

