「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」を観る
オーストラリアン・オペラ(1)、1989(冬)
「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」を観る -1989年7月13日、シドニー・オペラハウスにて –
南半球、シドニーの7月は日本と真逆で季節は「冬」である。といっても気温は日中で18度前後はあり日本に比べれば寒くはない。この街のシンボル、「シドニー・オペラハウス」(写真1 筆者撮影)の着工は1959年と意外に早かったのだがこのユニークで独創的形状など諸般の事情により完成は大幅に遅れて1973年になってしまった。現在は世界遺産にも登録され観光名所の一つになっている。内部の主たるホールは約2700人収容できるコンサート・ホール(シドニー交響楽団の本拠地)と約1500人収容のオペラ劇場でリニューアルされた2012年からオーストラリアを代表する名ソプラノ歌手ジョン・サザーランドに因んで「ジョン・サザーランド劇場」と呼ばれている。私が足を運んだこの日の出し物はイタリア、「ヴェリズモ・オペラ」の代表格として挙げられるマスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」とレオンカヴァッロ「道化師(パリアッチ)」が上演された。また私の個人的な関心事では1985年「つくば科学万博」の「オーストラリア・デー」イベントにゲスト出演したソプラノのロザムンド・イリング(Rosamund Illing/写真2 プログラムから)が「道化師」のネッダを歌うとの情報を得てさらなる期待が高まった。(写真3 オペラ・プログラム表紙)。オペラは19時30分開演。指揮はアルゼンチン出身のオペラ指揮者カルロ・フェリーチェ・チラーリオ(Carlo Felice Cillario/1915-2007),幼少期に家族でイタリアに移住、「ボローニャ音楽院」で学びヨーロッパ特にイタリア各地の歌劇場で指揮活動を行っていた。この「オーストラリアン・オペラ」の初登場は1968年、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」を振る。その後1987年には首席客演指揮者に任命されている (写真4 プログラムから)。管弦楽に「エリザベザン・フィルハーモニック管弦楽団」、合唱には「オーストラリアン・オペラ合唱団」が加わる。
プログラム前半に上演された「カヴァレリア・ルスティカーナ」でサントゥッツァを歌ったサンドラ・ハン(Sandra Hahn/写真5 プログラムから)は当時、オーストラリアとヨーロッパをまたにかけて活躍中のソプラノ歌手で声に張りがあった。またフランス・マルセイユ生まれのテノールのベルナール・ロンバルド(写真6 プログラムから)はこの時が「オーストラリアン・オペラ」デビューでトゥリッドウを熱唱した。また彼は後にロンドンでドニゼッティの歌劇「ランメルモールのルチア」全曲録音にもエディタ・グルヴェローバらとともに参加している(指揮はリチャード・ボニング、ロンドン響/1991年録音)。
休憩をはさみ後半の「道化師」では私が注目したネッダのロザムンド・イリングが歌うアリア「鳥の歌-大空を晴れやかに」は期待通り美しく聴きごたえ充分だった(拍手喝采)。幕切れで歌われる道化師カニオの「衣装をつけろ」もケネス・コリンズ(テノール)(写真7 プログラムから)の激しくこみ上げる歌いぶり、さらに第2幕、劇中劇で次第に怒り狂っていく道化師カニオが歌う「もう道化師じゃない」~フィナーレは圧倒的だった。(写真8 キャスト一覧)(写真9 オペラ・チケット)