クーベリック&バイエルン放送交響楽団でブル8を聴く、1965

「ラファエル・クーベリック&バイエルン放送交響楽団」
初来日公演、1965

~ブルックナー/交響曲第8番を聴く~

チェコの名指揮者ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik/1914-1996)は私が中学時代からウィーン・フィルを指揮したレコード、ドヴォルザーク交響曲「新世界から」等々で慣れ親しんだ指揮者のひとりである。その彼が「バイエルン放送交響楽団」と「第8回大阪国際フェスティバル」参加のため初来日したのは1965年4月のことだった。フェスティバル公演後「北九州」/「名古屋」を回り東京公演を「東京文化会館」で行った(写真1/2/3 当時の東京公演チラシと公演日程プログラム)。当時まだ高校生の私は文化会館の一番安い席(5階席)をゲットするため朝早くから「プレイガイド」に並んだことを覚えている。とにかく私は公演初日(4/21)のブルックナー「交響曲第8番」が聴きたかった。何とか文化会館天井桟敷5階左側の席(E席800円)を確保すことができた。当時、まだブルックナーがまだそれほどクラシック音楽ファンの間にも浸透していなかったことも幸いだったかもしれない。
そもそもこの作品の日本初演は1959年10月「カラヤン&ウィーン・フィル来日公演」の時だった。この時当初は大曲のためこの作品のみが演奏される予定だったそうだが聴衆の入りを気にしてかプログラムの頭にポピュラーなモーツアルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を追加したとのエピソードが残っている。
「バイエルン放送響」初来日公演ではさすがに休憩なしのこの作品のみのプログラムである(写真4 初来日公演プログラム表紙/写真5 4月21日Aプロ)。私は初めて生で聴く「ブルックナー交響曲第8番」、しかもラファエル・クーベリック指揮のバイエルン放送交響楽団である。レコードでさえ当時まだ聴いたことがなかったブルックナーだった。この時の興奮は今でも忘れることができない。もう半世紀以上昔のことなのでコンサートの詳細を覚えているわけではないがただクーベリックの指揮に釘付けになりアッという間に80分が過ぎ去っていったという想い出のコンサートだったことは確かである。
写真6は1965年バイエルン放送響初来日公演時色紙にしてもらったクーベリックのサインである。

写真1 R. クーベリック&バイエルン放送響初来日東京公演チラシ, 1965年

写真2 R. クーベリック&バイエルン放送響初来日チラシ、1965年

写真3 R. クーベリック&バイエルン放送響初来日東京公演日程演奏曲目(チラシ裏面)

写真4 初来日公演プログラム表紙、1965年(東京・名古屋・北九州公演)

写真5 東京公演Aプロ ブルックナー交響曲第8番、1965年

写真6 1965年バイエルン放送響初来日公演時色紙にしてもらったクーベリックのサイン