ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーの想い出から
本年(2018年)6月、ロシアを代表する偉大な指揮者「ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー」の訃報を耳にし衝撃が走った。 日本では愛称「ロジェヴェン」で親しまれ初来日は今から半世紀以上も前に遡る1957年、「ボリショイ・バレエ団」に帯同した時だった。1970年には「大阪万博公演」で「ボリショイ・オペラ」の指揮者として来日、さらに1972年5月には「モスクワ放送交響楽団」の初来日公演でショスタコーヴィチ最後の「交響曲第15番」を国外初演(大阪)も行っている(写真1 1972年国立モスクワ放送響初来日東京公演チラシ/写真2 同チラシ見開きページ)。 国内のオーケストラでは1979年12月「読売日本交響楽団」の定期公演で初共演、得意のショスタコーヴィチ「交響曲第7番<レニングラード>」を振っている。 この模様は後に「NHK」でテレビ放送もされたことも記憶に残る(写真3 「第159回読売日本交響楽団定期公演プログラム表紙」/写真4 同、演奏プログラム)。 この演奏でも彼の個性的な指揮ぶりが思い起される。 その後は度々「読売日響」に客演し1990年には名誉指揮者の称号も贈られた。 レコーディングも「メロディア」レーベルに数多くの名盤が遺されているがとりわけ1980年代にプロジェクトとして録音された「ブルックナー交響曲全集」は同一曲に対して複数の異なる版も収録された異色の全集で大変注目を集めた(写真5 ロジェストヴェンスキー&ソヴィエト国立文化省交響楽団によるブルックナー交響曲全集録音の一部(各2CD国内盤BMGファンハウス・ジャケット))。