ジャン・シベリウスの「ふるさと」を訪ねて
ジャン・シベリウスの「ふるさと」を訪ねて - ハメーンリンナ(フィンランド)にて、1980年8月 -
1980年8月8日、私は大好きな作曲家のひとりジャン・シベリウスの“ふるさと”フィンランドのハメーンリンナ(Hämeenlinna)に向けて旅立った。当時はまだ東京(成田)からヨーロッパへの直行便もなく、ましてヘルシンキ便もまだ開設されてなかったので途中乗り継いでヘルシンキへ向かったことを覚えている。乗継時間も含めるとヘルシンキまで20時間近くかかったと思う。現在は直行便で約10時間で行けるので随分と便利になった。
さてシベリウスが生まれた街、ハメーンリンナはヘルシンキ中央駅(写真1 筆者撮影・1980年8月)から鉄道距離で北へ約110kmほど離れた位置にある。そんなわけでまずヘルシンキ市内を先に観光してからシベリウスの「ふるさと」へ向かうことにした。ヘルシンキでは白亜の殿堂「フィンランディア・ホール」での「ヘルシンキ・フィル」のコンサートも考えたのだが私の旅程とかみ合わず断念、結局1982年の初来日公演まで“おあずけ”となった。そこで、中央駅からほど近い「シベリウス公園」に行ってみた。公園内にはフィンランドの女流彫刻家エイラ・ヒルトネン制作(1967年)の金属製のモニュメントが二つ、一つがパイプオルガンのパイプをイメージしたような作品、もうひとつがシベリウスのマスク(写真2・3 1980年8月筆者撮影)が設置されている。とてもユニークな作品で訪れる観光客にもインパクトを与える。それからUFOが着陸したようにも見えるこれまたユニークな「テンペリアウキオ教会」(写真4)にも立ち寄ってみた。この教会は「岩の教会」とも呼ばれ大きなひとつの岩をくりぬき作られたらしい。内壁はくりぬいた岩盤がそのままの状態で生かされこれが音響効果にも適しているとのことでコンサート会場にも使用されている。フィンランドの名指揮者、パーヴォ・ベルグルンドの助言も当時あったようである。
翌10日はシベリウスの生まれ故郷「ハメーンリンナ」に向かった。列車で約1時間余り、ホテルも街の中心から少し離れた森と湖に囲まれた閑静なアウランコ自然公園(写真5 筆者撮影・1980年8月)の中にあるリゾート・ホテルに宿泊した。ホテルのレセプションで街の観光案内リーフレット(写真6)を入手、ホテル周辺の自然公園内を散策後、早速街中にあるシベリウスの生家(写真7 筆者撮影1980年8月)に向かった。生家はシベリウスの資料館として貴重な写真や自筆譜、楽器が展示されている。また生家のすぐ斜め前に位置する「シベリウス公演」には若きシベリウス像が立っている。(写真8 筆者撮影1980年8月)今振り返えれば当時流行した「ウォークマン」でシベリウスの交響曲を聴きながらゆっくりと時を過ごすことができた旅でもあった。
ところで、この原稿を書きながら私が生で最初にシベリウスの交響曲に接した時を思い起してみた。棚の資料やコンサート・プログラムを見ながらチェックしていると写真の「東京フィル・第118回定期公演」のプログラムが出てきた(写真9)。1968年10月12日・東京文化会館、渡邉暁雄指揮による「交響曲第1番」である。今からほぼ半世紀前のこのコンサートが初体験ではないかと思われる。また当時の東京フィルの定期公演のチケットはスマートでしかも英字表記、イキに感じた(写真10)。関西出身のベテラン・ヴァイオリニスト辻久子が客演、得意のハチャトゥリアンの「ヴァイオリン協奏曲」を披露したことも懐かしく思い出す(写真11)。
写真10 1968年 東京フィル第118回定期演奏曲目