「私の昭和歌謡レコード史」(5)

「和田  弘とマヒナスターズ」も日本歌謡レコード史上、避けては通れない音楽グループである。「吉田 正」門下、スチールギターの「和田  弘」をリーダーとするムード歌謡グループとして1957年に本格デビューした。 筆者がこのグループを知ったのは1960年代に入り「松尾和子」をはじめとする女性歌手を迎え演奏・レコーディング活動をするころだった。 ちなみに最初に求めたシングル盤は「多摩幸子(たま ゆきこ)」を迎えての1961年発売の「北上夜曲」である(写真1  「北上夜曲」シングル盤ジャケット、ビクター VS-519 モノラル / 写真2  同盤レーベル面)。 この曲は当時数多く存在した歌声喫茶で人気がありよく歌われていたそうである。 当初は作詞作曲者が不明だったとのことだがこのレコードが発売された1961年に作詞作曲者が判明したというエピソードが残っている。 作詞が「菊池 規(のりみ)」、作曲は「安藤睦夫」共に岩手県出身の方である。 レコーディングも複数のレコード会社との競作となったが売り上げのトップはやはりこの「マヒナ盤」であった(「ミュージック・ライフ」誌調査)。 また岩手県を流れる「北上川」の川原には「北見夜曲」歌碑が立っている(写真3  「北見夜曲」歌碑 筆者撮影1996年)。
(つづく)

写真1    「北上夜曲」多摩幸子・和田弘とマヒナスターズ シングル盤ジャケット(ビクターVS-519)

写真2 写真1のレーベル面」

写真3    「北上夜曲」歌碑(筆者撮影1996年8月)