「私の昭和歌謡レコード史」(7)
前回の続編である。 「橋 幸夫」1960年代印象に残るステレオ録音シングル盤からピック・アップしてみたい。
先ずは「青春歌謡」からいわゆる「リズム歌謡」に転身した1964年リリース「恋をするなら」から始めたい(写真1 「恋をするなら」シングル・ジャケット、ビクター SV-87)。 もちろん作詞・作曲は「佐伯孝夫」・「吉田 正」の名コンビでB面の「孤独のブルース」と共に橋主演の松竹映画「孤独」の主題歌だった。 「恋をするなら」はサーフィン・リズムに乗った曲でとても新鮮に感じた。 歌詞の「AAA I I I EEO AIO(アーイーエーオ アイオ)」のフレーズも興味深かった。 当時とても人気があった1曲であった。
続いて1966年1月にリリースされた「雨の中の二人」はこれまでの作詞・作曲が佐伯・吉田」コンビから「宮川哲夫(作詞)」「利根一郎(作曲)」に変わる。 味のあるムード歌謡で歌の雰囲気もガラリと変化する(写真2 「雨の中の二人」シングル・ジャケット、ビクター SV-348)。
この新コンビからこの年の「日本レコード大賞」受賞曲「霧氷」が生まれ彼は1962年「いつでも夢を」に続く2度目の「大賞」を受賞した。 尚、編曲は先の「雨の中の二人」と同様に「一ノ瀬義孝」である(写真3 「霧氷」シングル・ジャケット 、ビクター SV-471)。
今回ラストは1969年リリースの「東京―パリ」である。 作詞「橋本 淳」作曲「筒美京平」のコンビによる歌謡調の洒落た作品である。1964年に日本人の海外旅行の自由化が開始されこの曲が誕生した翌年は日本で初の国際博覧会「大阪万博’70」が開催された。 日本人の海外旅行のイメージもこれまでの東南アジア近郊からヨーロッパまで視野が徐々に広がることも見据えた曲のタイトルだったのであろう。 この曲は翌1970年公開の橋主演の映画「東京⇔パリ青春の条件」の主題歌にもなっている(写真4 「東京―パリ」シングル・ジャケット、ビクター SV-903)。
(つづく)