アルフレッド・コルトー(Pf) 来日公演、1952
私の「コンサート資料コレクション」からアルフレッド・コルトー(Pf) 来日公演、1952年11月
20世紀のフランスを代表する世界的ピアニスト「アルフレッド・コルトー(Alfred Cortot/1877-1962)」(写真1/写真2-コルトーのメッセージ)が最初で最後になった日本訪問は1952年9月下旬のことであった。コルトー75歳の時である。彼も筆者が生の演奏を聴きたくても聴けなかったピアニストのひとりである。調べてみると当時の日本滞在はこの年の12月上旬まで全国各地を巡るコンサート・ツアー並びに「日本ビクター」の築地スタジオでのレコード録音と長期滞在となったようである。ところで彼がまだ20代の若かりし頃、ワーグナーの作品に傾倒し「バイロイト音楽祭」の副指揮者も務めたり、1902年には指揮者として楽劇「トリスタンとイゾルデ」や楽劇「神々の黄昏」のフランス初演も行っていたという驚きの人だ。今回は私の手元の資料、「コルトー来日公演"協奏曲コンサート・プログラム"」(写真3 「協奏曲公演プログラム表紙」)を取り上げてみたい。
「協奏曲コンサート」は11月7日・8日・10日に「日比谷公会堂」で開催されている。管弦楽は7日と10日が「東京交響楽団」、8日は「東京フィルハーモニー交響楽団」が担当、指揮は上田仁(7日)と近衛秀麿(8日・ 10日)が振る(写真4 公演日程)。コルトーはサン=サンース「協奏曲第4番ハ短調」/フランク「交響変奏曲」(写真5 プログラム(H))、ショパン「協奏曲第2番ヘ短調」(写真6 プログラム(I))、シューマン「協奏曲イ短調」(写真7 プログラム(J))を弾く。聞くところによれば8日のショパンの演奏はコルトーのピアノとオーケストラが思うようにうまく合わなかったという話もあるようだ。戦後7年、日本の復興が徐々に進みつつある風景を長期滞在を通じてコルトーの目にはどのように映ったのだろうか。