アレクサンドル・ドミトリエフ&サンクトペテルブルグ響を聴く、1997
〜1997年5月28日、東京芸術劇場にて〜
サンクトペテルブルグにはムラヴィンスキー時代には「レニングラード・フィル」の名称で馴染み深い「サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団」と今回取り上げる「サンクトペテルブルク交響楽団」が存在しクラシック音楽ファンの間でもしばしば混同することがある。今回スポットを当てる「サンクトペテルブルク交響楽団」の創立は1931年、レニングラード放送局の放送オーケストラとして活動していた。初来日は1974年時の首席指揮者ユーリ・テミルカーノフと共に当時の公演チラシに「レニングラード・フィルハーモニー交響楽団」と記載されていたため先のムラヴィンスキーが率いる「レニングラード・フィル」と間違えられたこともある(写真1 1974年3月、初来日の公演チラシ)。正しくは「レニングラード交響楽団」で現在の「サンクトペテルブルク交響楽団」に当たる。
その後しばらく来日はなかったがアレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ドミトリエフが音楽監督に就任後1991年、94年と来日を重ね97年は通算4度目の来日公演となった(写真2 「1997年来日公演プログラム表紙」)。この公演では'95年から客演常任指揮者を務めていた日本の小松一彦(1947-2013)も指揮台に立っている。彼はまた「貴志康一」の研究家の第一人者としても知られ東京では貴志の「交響組曲<日本スケッチ>」全曲をプログラムに取り上げている。またこのコンビでの1994年ライヴ録音「交響曲<仏陀>」は通算3度目の録音になる名盤で筆者も愛聴している(写真3)。筆者はピアニストとして今回ただ1度だけ客演するミハイル・プレトニョフが出演する5月28日「東京芸術劇場」の公演を聴いた。プログラムはもちろんオール・ロシアもの。グリンカ/歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番」そして最後はチャイコフスキー「交響曲第6番<悲愴>」とボリューム感タップリだった。プレトニョフは情感を込めながら優美でメランコリックなラフマニノフの旋律を見事に歌い上げていた。また俗に「ドミトリエフのオーケストラ」と云われるだけありこの日のフィナーレを飾った「悲愴」の演奏でもこのコンビの息のあった演奏が楽しめた(写真4 プレトニョフのサイン/写真5 ドミトリエフのサイン/写真6 5月28日公演チケット)。写真7は筆者の愛聴盤、1990年4月グラスゴーのシティー・ホールでのドミトリエフ&サンクトペテルブルク響(当時はレニングラード響)の「ショスタコーヴィチ/交響曲第5番」ライヴ盤LPでジャケットに彼が2003年6月来日時にサインを入れてもらった1枚(日付入り)でレベールは「英LINN RECORDS」。「LINN」は英国有名高級オーディオ・ブランドで本社はスコットランドのグラスゴーにありLPレコードも制作している。このLPも音質抜群、重量感あるサウンドが魅力である。