クラウディオ・アバド&ヨーロッパ室内管弦楽団を聴く、1991

~来日公演でシューベルト「交響曲<ザ・グレート>(原典版)を聴く、1991年3月、サントリーホールにて~

この2回目の来日公演では「シューベルト交響曲チクルス」と客演マレイ・ペライア(Pf)の「ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全曲演奏」が注目された。この当時アバドはシューベルトオリジナル自筆譜に基づく交響曲の演奏に取り組みこのコンビで全集録音も1987年に完了していた。また翌年1988年5月の「ウィーン芸術週間」ではウィーン・フィルとの「ザ・グレート」のオリジナル版による演奏も大変注目を浴び「NHKFM」で放送されたことも記憶に残る。そんなことから私は「チクルス最終日」にあたる1991年3月30日の公演(会場サントリーホール)を聴いた(写真1 1991年来日公演プログラム表紙/写真2 アバドとヨーロッパ室内管弦楽団)。最終公演のプログラムは前半がペライア(写真3)によるベートーヴェン「ピアノ協奏曲第2番」休憩をはさんで注目のシューベルト「交響曲第8番<ザ・グレート>」(このプログラムではまだ「第9番」と表記されている)であった(写真4 筆者が聴いたプログラムE)。
シューベルトの交響曲の番号の呼び方についてこの「ザ・グレート」は「第7番」や「第9番」でよく表記され私自身も混乱していた。ところが1977年6月、オーストリア、ホーエネムスの「聖カール・ボロメウス教会」(写真5)で開催された「カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団」の「シューベルティアーデ」のコンサートでプログラムに「未完成」が「第7番」、「ザ・グレート」が「第8番」と表記され大きな話題を呼んだことも思い起される。この見解では「未完成交響曲」はもはや未完の交響曲ではなく二つの楽章で完成された作品と捉えたところにあるようだ。現在では一般的に「未完成」が「第7番」、「ザ・グレート」が「第8番」で表記されている。
さて話を戻しシューベルトのオリジナル自筆譜によるこの演奏、第2楽章の普段聴きなれた演奏とは異なる節回し、第3楽章「スケルツオ」では削除されていた4小節が復元されるなど興味はつきなかった。このコンサート以降私はまだこの「版」による演奏を生でで耳にしたことはないがまた機会があればぜひ聴いてみたいと思っている(写真6 コンサートチケット)。

写真1 1991年「アバド&ヨーロッパ室内管弦楽団」来日公演プログラム表紙

写真2 クラウディオ アバド&ヨーロッパ室内管弦楽団

写真3 マレイ・ ペライア(Pf)

写真4 筆者が聴いたプログラムE

写真5 「シューベルティアーデ」のコンサート会場、聖カール ボロメウス教会(ホーエネムス)

写真6 1991年来日公演チケット