シンガーソングライター”ニール・セダカ”の魅力

前回の「パット・ブーン」と並びほぼ同世代の「ニール・セダカ(NEIL SEDAKA)」も筆者が中学・高校時代に夢中になったポピュラー・シンガーである(写真1  LPアルバム添付写真から)。 彼は今年80歳を迎えた。 ニューヨーク州ブルックリンの出身でハイ・スクール時代当初は「クラシック」のピアノと作曲を勉強した人である。 さらに卒業後は「ジュリアード音楽院」に進んでいる。 また彼の母方の祖母はプロのクラシック・ピアニストとして活躍した人でニューヨーク交響楽団(現、ニューヨーク・フィルハーモニック)」の首席指揮者を務めワーグナーの「パルジファル」を米国初演した「ウォルター・ダムロッシュ(Walter Damrosch/1862-1950)とも親交があったことが伝えられている。
彼の魅力は一言でいえば洗練された真摯でけれん味がない歌唱力であろう。 彼のデビュー曲は1958年にリリースされた「恋の日記(原題”THE DIARY”)」、この作品はセダカ本人の作曲、作詞はハイ・スクール時代からの親友ハワード・グリンフィールド(Howard Greenfield)で以後このコンビで彼の数々のヒット曲が生まれている。
今回紹介するアルバムは1968年に「日本ビクター」からリリースされた豪華布張りジャケット「ニール・セダカ・グランプリ・アルバム」である(写真2  「ニール・セダカ・グランプリ・アルバム」ジャケット、日本ビクター・SX-34)/ 写真3 同盤・レーベル面」。 このアルバムには先のデビュー曲「恋の日記」から1965年発表「涙の小径(原題”THE WORLD THROUGH A TEAR)」を含むヒット曲14曲が収められている。 尚、この「涙の小径」の作詞、作曲はピーター・アレン、このアルバムでは「日本語」で歌っている。
最後に筆者が一番よく好んで聴く曲は1960年代初頭に大ヒットし「坂本 九」もカバーした「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」である。 写真4はその「坂本 九とダニー飯田とパラダイス・キング」のカーバー・シングル・ジャケットである。

写真1    「ニール・セダカ」(LPアルバム添付写真)

写真2    「ニール・セダカ・グランプリ・アルバム」ジャケット(日本ビクター SX-34 1968年発売)

写真3    写真2のアルバム・レーベル面

 

写真4    「カレンダー・ガール」坂本 九 ダニー飯田とパラダイス・キング シングル・ジャケット(東芝 JP 5065 1961年発売)