ハイティンク & アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団来日公演を聴く

〜1968年9月7日、東京文化会館にて〜

〜1974年5月4日、NHKホールにて〜

〜1977年5月19日、東京文化会館にて〜

今年(2018年)で130年の歴史を誇る名門「アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団」の初来日は半世紀も前の1962年に遡る。常任指揮者二人体制の時代で若きベルナルト・ハイティンクと60歳を迎えるブルックナーの権威オイゲン・ヨッフムが同行、ヨッフムはブルックナーの「交響曲第5番」の日本初演を行っている。残念ながら筆者は聴くことができなかったが手元の収集資料から当時の東京公演のチラシを紹介しておきたい(写真1  「コンセルトヘボウ管初来日東京公演チラシ(表)/写真2  同チラシ裏面」。
続く来日は6年後の1968年9月のことである。この時も前回に続きハイティンクとヨッフムの指揮で行われた。筆者は公演初日ハイティンク指揮の9月7日東京文化会館に足を運んだ(写真3  1968年来日公演プログラム表紙)。公演プログラムはメンデルスゾーン「真夏の夜の夢」から3曲、オランダの現代音楽作曲家ヘップナー「エグローグ(牧歌)」、マーラー「交響曲第1番<巨人>」である。休憩前に演奏されたヘップナーの作品は日本初演だったが曲想も含め筆者の記憶からほとんど消えている。メインのマーラーはこの楽団の底力を充分にうかがえた演奏だった(写真3  1968年来日公演プログラム表紙/写真4  筆者が聴いたプログラムA)。
それからまた6年後の1974年4月来日公演から指揮者はハイティンク単独となった。先の1962年に続き再び「大阪国際フェスティバル」に参加、筆者は公演終盤を迎えた東京公演初日5月4日の演奏を聴く。筆者が聴いた「プログラムA」はブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」、マーラー「交響曲第10番-アダージョ」、メインがR.シュトラウス「交響詩<英雄の生涯>」であった(写真5  1974年東京公演チラシ/写真6  1974年来日公演プログラム表紙/写真7  筆者が聴いた公演プログラムA)。マーラーもR.シュトラウスもこのオーケストラとは縁が深い。マーラは1900年代初頭にこのオーケストラで自作の交響曲の大半を振りR.シュトラウスはこの「英雄の生涯」を2代目の常任指揮者メンゲルベルクとコンセルトヘボウ管弦楽団に献呈している。それだけにハイティンクの指揮にも力が入っていた。
最後に1977年5月来日公演では日本公演後に韓国(ソウル)公演も組まれていた (写真8  「1977年東京公演チラシ」/写真9 「1977年来日公演プログラム表紙」/写真10 1977年日本・韓国公演日程)。筆者は東京公演最終日5月19日「プログラムC」を聴いた(写真11  筆者が聴いたプログラムC)。このプログラムではポーランドの現代音楽作曲家ルトスワフスキの「ミ・パルティ」が演奏された。もちろん日本初演である。この作品はこのオーケストラの委嘱作品で前年1976年に完成している。この作品は十二音技法を採用した前衛的な音楽だが調性的な響きも随所にうかがえ大変興味深い作品だった。尚、この公演と初日5月16日の公演「ベートーヴェン交響曲第8番」」「マーラー交響曲第4番」(ソプラノ:大川隆子)は後日「FM東京」の「TDKオリジナル・コンサート」でオン・エアされている(写真12  1977年5月19日公演チケット)。
1988年より「ロイヤル(王立)」の称号を受け「ロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団」と改めている。

写真1 1962年コンセルトヘボウ管来日公演チラシ

写真2 1962年コンセルトヘボウ管来日公演チラシ裏面

写真3 1968年コンセルトヘボウ管来日公演プログラム表紙

写真4 筆者が聴いたコンセルトヘボウ管プログラムA(1968)

写真5 1974年コンセルトヘボウ管来日東京公演チラシ

写真6 1974年コンセルトヘボウ管来日公演プログラム表紙

写真7 1974年コンセルトヘボウ管来日公演プログラムA

写真8 1977年コンセルトヘボウ管 来日公演チラシ

写真9   1977年コンセルトヘボウ管 来日公演プログラム表紙

写真10 1977年コンセルトヘボウ管 日本/韓国公演日程

写真11 筆者が聴いたコンセルトヘボウ管 プログラムC

写真12 1977年コンセルトヘボウ管 来日公演5月19日チケット