ラトル&バーミンガム市響来日公演を聴く、1998

~1998年5月26日 - サントリーホール~

~1998年5月30日 - ノバ・ホール(つくば)~

~1998年6月2 日 - 東京オペラシティ コンサートホール(初台)~

フランスの名匠ルイ・フレモーの後継として1980年に弱冠25歳で「バーミンガム市交響楽団」首席指揮者、'90年に音楽監督に就任したサー・サイモン・ラトルがこの楽団とのフィナーレを飾る来日公演を行ったのは1998年5月下旬から6月初旬のことだった(写真1 東京サントリーホール公演チラシ)。筆者は当時、彼の破竹の活躍に興味津々結局3つの公演に足を運ぶことになった(写真2 1998年来日公演プログラム表紙)。まず東京公演初日サントリーホールでのソリストにイダ・ヘンデルを迎えてブラームス「ヴァイオリン協奏曲」とベートーヴェン「エロイカ」のプログラム。イダ・ヘンデルの生演奏に接するのは1978年1月の「香港アート・フェスティバル」(漫遊記6参照)以来20年ぶりのことだった。20年ぶりに聴いた彼女の伝説的な卓越した技量は全く失われていなかった(写真3 イダ・ヘンデル紹介と筆者が聴いたプログラムA)。続く5月30日は「つくば・ノバホール」でのマチネ・コンサートであった。冒頭に武満 徹の「鳥は星形の庭に降りる」が演奏されたのが印象的だった。この作品の生演奏も1978年4月の「岩城宏之&都響」定期公演以来偶然にも20年ぶりのことだった(漫遊記88参照)。この公演では別にオリジナル・プログラムも配布された(写真4・5 配布されたオリジナル・プログラム)。そしてラストは前年1997年9月に東京・初台の「東京オペラシティ」にオープンした「オペラシティ・コンサートホール」における6月2日の公演である(写真6 「東京オペラシティ・コンサートホール」(タケミツメモリアル)オープニング記念誌表紙)/(写真7 「オペラシティ・コンサートホール公演」オリジナル・プログラム表紙)。ここでの注目はマーラー「交響曲第7番<夜の歌>」である。期待通りラトルが力を入れていた マーラーだけに凄みを感じた演奏だった。冒頭に演奏されたイギリスの現代作曲家オリヴァー・ナッセン「第3番」の交響曲はこの演奏が日本初演であった。なんでもナッセンがシェイクスピアの「ハムレット」の「オフィリーアの死」をイメージして作曲したと云われるこの作品は3楽章構成で演奏時間約15分、全体を通じ神秘的なイメージが印象的だった(写真8 オペラシティ公演演奏曲目)。(写真9)は「来日公演プログラム」に入れてもらったラトルのサイン。(写真10)は「東京オペラシティ・コンサートホール オープニング記念誌に入れてもらったラトルのサイン、(写真11)はLPレコード「マーラー交響曲第10番」ジャケットに入れてもらったラトルのサイン、(写真12)はLPレコード「ラフマニノフ交響曲第2番」ジャケットに入れてもらったラトルのサインである。(写真13)は5月30日「つくば」ノバホール楽屋口でにラトル氏とのツー・ショットで、(写真14)は筆者が聴いた3公演のチケットである。

写真1 1998年ラトル&バーミンガム市響来日サントリーホール公演チラシ

写真2 1998年ラトル&バーミンガム市響来日公演プログラム表紙

写真3 「イダ・ヘンデル紹介と筆者が聴いたプログラムA」

写真4 「つくば公演プログラム表紙」

写真5 「つくば公演演奏プログラム」

写真6 「オペラシティーコンサトホール(タケミツメモリアル)オープニング記念誌表紙

写真7 「東京オペラシティ公演プログラム表紙」

写真8 「東京オペラシティ公演奏曲目」

写真9 来日公演プログラムに入れてもらったラトルのサイン

写真10 「東京オペラシティコンサートホール オープニング記念誌に入れてもらったラトルのサイン」

写真11 「マーラー交響曲第10番ボーンマス響LPジャケットに入れてもらったラトルのサイン」

写真12 「ラフマニノフ交響曲第2番ロス・フィルLPジャケットに入れてもらったラトルのサイン」

写真13 ラトル氏とツーショット(1998年5月30日つくばノバホール楽屋口にて)

写真14 筆者が聴いた3公演チケット