二つのジルヴェスター・コンサートを聴く

ウィーン・コンツェルトハウス大ホール、1987

二つのジルヴェスター・コンサートを聴く - 1987年12月31日、ウィーンにて-

ブダペストでのオーケストラ・コンサート、ブラチスラヴァのオペラを鑑賞後、ウィーンに戻った私は「ウィーン・コンツェルトハウス大ホール」(写真1 筆者撮影)で二つの「ジルヴェスター・コンサート」を聴いた。この年の「ウィーン・コンツェルトハウス」での「ジルヴェスター・コンサート」は二つの公演が組まれていた。先ず16:00からの「ウィーン・ホーフブルク管弦楽団」のヨハン・シュトラウスをはじめとする「オペレッタ・コンサート」(写真2 オペレッタ・コンサート・プログラム表紙)と20:00開演の「ベートーヴェン交響曲第9番」(写真3 「第9コンサート・プログラム表紙」)のコンサートである。私は欲張って両方のコンサートに行ってみることにした。因みに「コンツェルトハウス」の目と鼻の先にある「ウィーン楽友協会ホール」では恒例のウィーン・フィルの「ジルヴェスター・コンサート」がクラウディオ・アバドの指揮で行われておりまさにこの日のウィーンはコンサートの花ざかりであった。
「ウィーン・ホーフブルク管弦楽団」は1971年にトランペットの名手でもあったゲルト・ホフバウアー(Gert Hofbauer)がウィーンの各主要オーケストラからヴィルトーゾたちを集めて結成した小編成のオーケストラである。ウィンナ・ワルツやオペレッタは彼らの得意とするジャンルでこの時期には引っ張りだこである。コンサートはヨハン・シュトラウスIIのオペレッタ「こうもり」序曲で幕があきカールマン、レハール等々のオペレッタ作品が演奏され会場は華やかな雰囲気に包まれた。ゲスト歌手陣のザグレブ出身オペレッタ歌手、ミルヤナ・イロシュ(ソプラノ)、今はなきウィーン・フォルクスオパーの名歌手、エリザベス・ケールズ(ソプラノ)らの美声に酔う(写真4 演奏曲目と出演者)。コンサートのフィナーレはやはりヨハン・シュトラウスIIの「美しく青きドナウ」で幕をおろした。またこの「コンサート・プログラム」には日本語での解説ページもあった(写真5)。写真6は「オペレッタ・コンサート」のチケット。
続いて夜の部は午後8時、「ウィーン交響楽団」のベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調「合唱つき」作品125」のコンサートである。指揮はオランダのハンス・フォンク(写真7)。私にとっては1979年3月、ロンドンでの「ロイヤル・フィル」以来、8年ぶりの再会でもあり彼が指揮する姿に接した最後になった(「漫遊記」1516参照)。独唱者にはルクセンブルク出身のマリエッテ・ケマー(ソプラノ)、マルガレータ・ヒンターマイヤー(アルト)、リチャード・ベルサーレ(テノール)、マンフレート・シェンク(バス)、合唱は「ウィーン・ジングアカデミー」といったメンバーである。なかでもバスのマンフレート・シェンクはオトマール・スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレとの「第9」のレコーディングに参加(1982年録音)している。12月のベートーヴェン「第9」は日本のクラシック・コンサートの「風物詩」だがヨーロッパでもこの頃から日本の影響を受けてか(??)年末に「第9」が演奏される機会も増えたような気がする(写真8 プログラム・「第9」出演者)。写真9は「第9」のコンサート・チケット。

写真1 ウィーン・コンツェルトハウス大ホール

写真2 オペレッタ・コンサートのプログラム表紙

写真3 「第9コンサート・プログラム表紙」

 

写真4 オペレッタ・コンサートの演奏曲目と出演者

写真5 オペレッタ・コンサートのプログラムの中に日本語での解説ページがあった

写真6 オペレッタ・コンサートのチケット

写真7 「第9」の指揮はオランダのハンス・フォンク/ウィーン交響楽団

写真8 ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調「合唱つき」の出演者

写真9 「第9」のコンサート・チケット