坂本 九 ”上を向いて歩こう” 世界的大ヒットのエピソード

日本の国民的歌手・エンタテナー「九ちゃん」の愛称で老若男女に親しまれた「坂本 九」については過去にも「漫遊記207」で取り上げているが今回は彼の世界的大ヒット曲「上を向いて歩こう」にスポットを当ててみたい。 この作品は作曲家・ジャズ・ピアニスト「中村 八大(1931-1992)」が自身のリサイタルのために作曲した。 因みに作詞は「永 六輔」、初演は1961年7月21日に東京「サンケイホール」において坂本 九の歌で披露された。 レコード発売はこの年の10月「東芝レコード」からリリースされている。 九ちゃんファンの筆者は300円を握りしめ当時レコード屋に走ったのを今でも鮮明に覚えている(写真1  「上を向いて歩こう」初出盤ジャケット(1961)東芝 JP-5083モノラル録音)。 当時NHK歌謡バラエティ番組「夢であいましょう」の1961年10月-11月の今月の歌で爆発的に広まりレコード売り上げランキング3ヶ月連続第1位の記録を持っている。 その2年後1963年には海を越えてアメリカでも大ヒット、「ビルボード誌」の総合ランキングでも3週連続第1位の快挙を成し遂げる。
この裏話にこんなエピソードも存在する。 「上を向いて歩こう」が日本で大ヒットしはじめた当時イギリスの「パイ・レコード」の社長が契約のため来日、当時日本で流行していた歌謡曲シングル盤を何枚か土産として本国に持ち帰ったところその中の1枚がこの「上を向いて歩こう」だったそうだ。 彼はこの曲をとても気に入り早速、イギリスで人気の「ディキシーランド・ジャズ」グループ、「ケニー・ボールと彼のジャズメン」 (Kenny Ball and His Jazzmen)にレコーディングさせた。 この時ケニー・ボールはレコーディング直前に最愛の母を亡くし彼はトランペットに弱音器を付けて(といっても洗面器ごときのものらしかった)悲しみをこめて演奏したと語っている。 ただ当時日本盤ジャケットの日本語が読めないために曲のタイトルに困り結局彼が知る日本語「SUKIYAKI」に落ち着いたとのことである。 後にこのレコードがアメリカに渡りワシントン州パスコのローカルFM局でこのレコードをかけていたところある日、リスナーの高校生から日本のペンフレンドから送られてきたという「坂本 九」のオリジナル盤を入手、「SUKIYAKI」で紹介するとたちまちリクエストが殺到、1日中この「上を向いて歩こう」を流し続けたこともあったようだ。 このような経緯で翌1963年、米キャピトル・レコードから「スキヤカ(SUKIYAKA)」のタイトルで発売が決定された。 テスト盤のレーベル印刷は「SUKIYAKA」で印刷されたため当初は誤植と思われていたようだがラジオDJが歌手「Kyu Sakamoto」と韻を踏ませる工夫をしたと伝えられた。 しかしこれもその後発売時には「東芝レコード」の説得により「SUKIYAKI」改められたようだ。 日本国内ではこの年、レコード番号は変えずにジャケット・デザインを変え「スキヤキ」のタイトルを入れて再プレスされている(写真2  ジャケットの坂本 九のサインは「つくば科学万博催事(1985)出演の際に入れてもらったもの) 。 また「ケニー・ボールと彼の楽団」は1964年11月の初来日公演直前にこの「上を向いて歩こう」をステレオで再録音、これはアルバム「ケーニー・ボール日本の郷愁デラックス」に日本の童謡と共に収められた(写真3  LPアルバム「ケニー・ボール日本の郷愁デラックス」日本コロムビアXS-82-Y 1969年)。

写真1    「上を向いて歩こう」初出盤ジャケット (東芝レコード JP-5083)

写真2    「上を向いて歩こう」1963年発売スキヤキのタイトル入りでリリース (東芝レコード JP-5083)、九ちゃんのサイン

 

写真3    LPアルバム「ケニー ボール日本の郷愁デラックス」(日本コロムビア XS-82-Y 1969年)