追想、「ロジェストヴェンスキ&読売日響」のショスタコービッチ
「ロジェヴェン」の愛称で日本では親しまれたロシアの名匠「ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(GennadyRozhdestvensky /1931-2018)(写真1 「読売日響第159回定期プログラムから」は「読売日本交響楽団」と1979年12月の初共演以来この楽団と縁も深く1990年には同楽団の名誉指揮者に就任している。 このたび資料として保存していた当時の「読売日響」の定期公演プログラムをめくりながら彼を追想してみた。 やはり印象に残るコンサートは初共演の「第159回定期」(1979年12月14日東京文化会館)でのショスタコービッチ「交響曲第7番<レニングラード>」と1988年9月6日第254回定期で演奏した同じくショスタコービッチ「交響曲第13番<バビ・ヤール>」だった(写真2 「第159回読売日響定期公演プログラム」表紙/写真3 「第159回定期演奏曲目」)。 また彼は1972年5月に「モスクワ放送交響楽団」との来日公演の際には大阪でショスタコービッチ最後の交響曲「第15番」の日本初演も行っている。 それだけに彼のショスタコービッチの演奏には興味津々だった。 ちなみに前者「第159回定期」で演奏された「レニングラード」は当時「NHK」でテレビ放送もされたのでご覧になった方もおられるだろう。 このスケール感ある長大な交響曲を聴衆を飽きさせることなく熱狂させたことは見事だった。
それからおよそ9年後の「第254回定期」では声楽つき交響曲第13番「バビ・ヤール」を取り上げ再度日本のタコービッチ・ファンを多いに沸かせた(写真4 「第254回読売日響定期プログラム表紙」/ 写真5 「第254回定期演奏曲目)。 彼は1983年から85年にかけてすでに「ソビエト国立文化省交響楽団」とのセッション録音で「ショスタコービッチ交響曲全集録音」を完成しておりその「バビ・ヤール」を歌った名バス歌手「アナトリー・サフィウーリン」を伴っての公演だった。 当時の関連新聞記事も保存してあったので参考までに紹介しておきたい(写真6 「第254回読売日響定期」関連記事-読売新聞1988年9月6日夕刊)。 プログラムの解説によればこの「バビ・ヤール」の日本初演は1975年12月7日「ショスタコービッチ追悼演奏会」として山岡重信指揮、独唱岡村喬生、早稲田大学交響楽団・グリークラブ楽友会の演奏だったということにも驚いた。 プロの楽団による日本初演はこの「読売日本交響楽団」による演奏だったそうである。