ヘルベルト・フォン・カラヤンの思い出
~1987年ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート~
1986年12月下旬、私は雪降り積もるウィーンに滞在していた。もちろん目的は執念でチケット入手したカラヤンが指揮する「1987年ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート」を聴くためである。でもその時まだカラヤンがこのコンサートの指揮台に立てるのか一抹の不安も心の片隅にあった。と云うのは彼が体調を崩し「ニューイヤーコンサート」出演が危ぶまれるニュースも耳にしていたからだ。実際、1986/87シーズン、カラヤンは夏の「ザルツブルク音楽祭」・「ルツェルン音楽祭」に出演後9月下旬、ベルリン・フィルとのベートーヴェン「第9」を振って以来しばらく指揮台から遠ざかっていたことも心配だった。しかしその不安は年が押し迫った28日、「ウィーン楽友協会」の音楽資料室を訪れた際に一瞬にして吹っ飛んだ。楽友協会楽屋口エレベーターに急ぐようにしてソプラノ歌手キャスリーン・バトルも飛び乗ってきたからだ。聞くところによるとこれから「ニューイヤーコンサート」のリハーサルがあるとのことだった。これで私はようやく安堵の念を得たのである。
さて大晦日まで断続的に降り続いた雪も翌日元旦はウソのように止みコンサートが始まる直前の午前11時までには少し陽も差し始めた。まさに地元では「カラヤン熱」が雪を溶かしたとまで言われたくらである。私も興奮さめやらずチケットを握りしめながら会場に向かったのだが・・・意外なことに会場の楽友協会入口ではろくにチケットをチェックするどころか半券もちぎりもしなかった(写真1)。さすがにこれにはビックリ!?・・・ちょっと気が抜けた思いがした。私の席は舞台上手側バックステージ、「Podium」という位置で決して良い席とは言い難いがカラヤン・ファンの私にとっては彼の指揮ぶりがよくうかがえその意味では申し分なかった。
コンサートの開始時刻が近ずくにつれて私の興奮度も益々上がっていった(写真2)。ヨハン・シュトラウスII世/喜歌劇「ジプシー男爵」序曲で幕を開けたコンサートは弟ヨゼフ・シュトラウスのワルツ「天体の音楽」へと続く。まさに透明度の高い実に美しい演奏だった。「シュトラウス・ファミリー」の聴きなれた作品が並ぶカラヤンのプログラム構成は会場の和やかな雰囲気をさらに盛り上げていった。究極は本体プログラム最後を飾った人気沸騰中のキャスリーン・バトルを独唱に迎えたワルツ「春の声」で会場の熱気は頂点に達し彼女の美声が超満員の聴衆に強烈なインパクトを与えたことも印象的だった。また恒例のアンコール途中、カラヤンの「新年スピーチ」でマイクのトラブルが発生、大きな雑音が混入するハプニング。これにはまたまた驚いたが直ぐに復旧、これもカラヤン・マジックか?!後に市販されたビデオ映像にはこの部分は巧みに編集されていた。コンサート翌々日に帰国の途についた私だが暫くコンサートの興奮が続くことになる。もし「これまでに聴いたコンサートで最高のコンサートは?」と問われれば迷わず私はカラヤンが最初で最後に臨んだ「1987年ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート」と答えるであろう。
写真3はキャスリーン・バトル来日時に書いてもらったサイン。
写真4は1986年ウィーン フィルのジルヴェスターコンサート会場入り直前のカラヤンを偶然撮影したもの。
写真5は1986年ジルヴェスター&1987ニューイヤーコンサートのチラシ、写真6は座席料金表である。