「パリ管弦楽団」初来日公演、1970
「パリ管弦楽団」初来日公演、1970
フランスを代表するオーケストラと云えばやはり国立パリ管弦楽団(L’Orchestre National de Paris)が挙げられる。発足は1967年とようやく現在半世紀が経過したところだがその母体は由緒ある「パリ音楽院管弦楽団」で時の文化相アンドレ・マルローの提唱により新団員は広くオーディションにより選出されたといわれている。初代音楽監督には名匠シャルル・ミュンシュ、常任指揮者に当時43歳のセルジュ・ボドが就任している。しかし発足の翌年(1968年)11月、音楽監督シャルル・ミュンシュが米国演奏旅行中に客死、楽団は一時不幸に見舞われる。しかし翌年2月にはヘルベルト・フォン・カラヤンが楽団音楽顧問に就任、ベルリン・フィルと兼任の形でレコーディングやテレビ出演等々で1971年の退任まで一役買ったことも記憶に残る。
このような状況下で1970年4月、「大阪万国博覧会-EXPO ’70 Classics」 参加のため初来日が実現した。指揮者は常任指揮者セルジュ・ボドのほかジョルジュ・プレートルも同行、ソリストにブルガリア出身の名ピアニスト、アレクシス・ワイセンベルクが共演した。私はその東京公演に足を運んだ(写真1 東京公演チラシ/写真2 チラシ裏面)。東京では4回の公演が組まれたが私はボド指揮で行われた4月24日東京文化会館の公演を鑑賞した(写真3 公演日程/写真4 東京公演プログラム表紙)。このコンサートではやはりワイセンベルクが弾くショパンの「ピアノ協奏曲第1番」に注目が集まった。
彼は1956年からおよそ10年間に渡る演奏活動休止期間の後1967年2月「ニューヨーク・フィル」の客演で華やかに復帰、その年の9月19日・20日にはベルリン・フィル1967/68シーズン開幕コンサートにおいてカラヤン指揮でチャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番」を演奏し大絶賛を浴びた。
1969年4月の「第12回大阪国際フェスティバル」出演に次ぎ今回が2回目の来日であった。このショパンも期待通り指揮者ボドとの息もあい、味わい深い演奏を披露した。また後半のバルトークの「オケコン」もパリ管の管楽器群の響きが印象的だったことを思い出した。アンコールもビゼーの「アルルの女」から「ファランドール」等々5、6曲演奏していったと思うがとにかく大サービスだった。写真5は筆者が会場に足を運んだ4/24の公演曲目。写真6はセルジュ・ボドとカラヤンのツー・ショットである(公演プログラムから)。