ジルヴェスター・コンサートとカラヤン墓詣で
「ウィーン・ホーフブルク・オーケストラ」のジルヴェスター・コンサートと「カラヤン墓詣で」、1995
ジルヴェスター・コンサートとカラヤン墓詣で - 1995年12月~1996年1月、ウィーン、アニフにて-
1995年、7年ぶりに私はウィーンで年末年始を迎えた。指揮者界の「帝王」とまで云われたヘルベルト・フォン・カラヤンが亡くなって早や6年余りが経過し彼の墓があるザルツブルク近郊のアニフを訪れ、墓詣でをしたいと考えた。12月30日にウィーン入りした私は翌日先ずは、「ウィーン・ホーフブルク・オーケストラ」のジルヴェスター・コンサートを聴くことにした。(写真1 プログラム表紙/写真2 コンサート・チケット)この楽団の「ジルヴェスター・コンサート」に接するのは1986年、1987年、そして今回で3回目となる。今回の会場は「ウィーン・コンツェルトハウス」(写真3 筆者撮影/1995年)の「モーツアルト・ザール」(写真4 筆者撮影/1995年)に変わっていた。「モーツアルト・ザール」は約700名ほど収容できる小ホールである。開演は16時。指揮者は常任のゲルト・ホフバウアーがあたっていた。プログラムはいつものようにヨハン・シュトラウスIIのオペレッタ「こうもり」序曲で始まりカールマン、レハールのオペレッタから楽しいアリアが数々と歌われ会場はいつものように和やかな雰囲気に包まれた。歌手陣ではレギュラーのエリザベス・ケールズ(ソプラノ)も出演、大詰めでカールマン「伯爵夫人マリツァ」から「ヴァラスディンへ一緒においで」をバリトンのルドルフ・ヴァッサロフとデュエット、二人の息の合ったのりが特に印象的だった。フィナーレはお決まりの「美しく青きドナウ」でこの年のジルヴェスターの幕がおりた(写真5 当日の演奏曲目)。
1996年元旦を迎えたウィーンは朝早くから大雪に見舞われた。ザルツブルク行きは翌2日に延期することにしてスケジュールを立て直しウィーン西駅発午前6時40分発の「インターシティ(IC)」に乗車することにした。しかし雪は止む気配はなくむしろ激しさを増していった。しかしもう延期はできないので早起きして朝5時半過ぎに市電でウィーン西駅に向かった。駅の窓口でザルツブルクまでのチケットを購入、今回は奮発して1等にした(写真6 列車チケット)。乗車する列車はすでにホームに入線していたが雪はますます酷くなった。オーストリア国鉄も優等列車には愛称名を付けているがこの「IC」にはオーストリア・アルプスの「キツシュタインホル(Kitzsteinhorn)」というオーストリア・アルプスの山の名称が付けられていた。(写真7 ウィーン西駅で大雪の中発車を待つ「キツシュタインホルン」/筆者撮影)列車はほぼ定刻に発車したがやはり大雪のため途中でかなり徐行運転となり結局ザルツブルク中央駅に到着した時刻は約40分近く遅れ10時半過ぎになったと記憶している。早速、駅の観光案内所で今日のホテル手配と「アニフ(Anif)」へのバスのりばを聞いた。なんでもアニフへは「55番」のバスに乗り「ヘルンブルン宮殿」の次の停留所がアニフということだった。「ヘルンブルン宮殿」は17世紀初頭に建てられた宮殿で庭園の噴水で有名な観光スポットである。ザルツブルクの中央駅から路線バスに揺られること約30分、無事アニフのバス停(写真8 アニフ・バス停/筆者撮影)に到着した。雪は小止みになってきたが結構降り積もったアニフの教会に続く道(写真9/筆者撮影)を歩いていった。雪の中およそ7、8分でアニフの教会に到着した。聖堂(写真10/筆者撮影)で参拝後教会裏手のカラヤンが埋葬された墓地へ向かった。カラヤンのお墓はすぐに見つかった。想像よりはるかに質素な佇まいで雪景色と静寂との調和がなんとも云えない雰囲気を醸し出していた。(写真11・12 カラヤンの墓/筆者撮影)お参りした後、この付近はカフェも何もないないのでバス停に戻りまたザルツブルクへ引き返した。(つづく)