バイロイト音楽祭で「さまよえるオランダ人」を観る
バイロイト音楽祭、1978
「さまよえるオランダ人」を観る- 1978年7月、バイロイトにて-
私は決して「ワグネリアン」ではないが若い時分には「バイロイト祝祭劇場」に一度は訪ねてみたいと思っていた。もう今からちょうど40年前(1978年)のこと、運よくこの年の「バイロイト音楽祭」に行く機会を得た。このテーマの「話」をまとめるにあたり昨日からバイロイト関係の資料・写真等を探しまわったところ貴重な当時のチケットは紛失してしまったようだが幸いプログラムと当日のキャスト一覧表は保存してあったのでこれらをもとに当時の記憶を辿りながら本題に入っていきたい。
私が当時実際に接した演目はワーグナーのオペラでは上演時間が一番短いと思われる「さまよえるオランダ人」の7月25日の公演である(写真1 公演プログラム表紙/写真2 当日出演者一覧)。指揮はアメリカ出身で「バイロイト音楽祭」デビューを飾った当時34歳の新進気鋭のデニス・ラッセル・デイヴィス、演出はこの人もこの公演がバイロイト・デビューとなった奇才、ハリー・クプファー(写真3 プログラムから)である。このオペラは3幕構成だがもともとはワーグナーが1幕形式で構想したものなので休憩なしで通常上演されることが多い。この日も通しで上演された。キャストもダーラントにフィンランドの名バス歌手マッティ・サルミネン、ゼンタにデンマーク出身のワーグナー歌い、リスベート・バルスレフ(ソプラノ)(写真4 プログラムから)が出演。エリックには昨年(1977年)のボンの「ベートーヴェン音楽祭」でも「フィデリオ」のフロレスタンで美声を聴かせた名テノール、ロベルト・シュンク(漫遊記9参照)、マリーはメゾ・ソプラノのアニー・シュレム(写真5 プログラムから)が熱唱した。そして舵手には当時新進気鋭のメキシコ出身のテノールフランシスコ・アライサ、オランダ人にはアフリカ系アメリカ人のサイモン・エステスがタイトロールを見事に演じた(写真6 プログラムから)。上演時間約2時間20分が興奮のあまりアッという間に過ぎ去った気がした。この劇場はオーケストラ・ピットが舞台下に入る構造になっており客席からは指揮者も楽団も見ることができない。私にとってはこれも一期一会の貴重な体験だった。
その後2002年9月にバイロイトに再び立ち寄ってみたが音楽祭が終わった「祝祭劇場」は当然のことながら訪問客もほとんど無く静まり返った雰囲気がまた何ともいえなかった。写真7・8は静まり返った祝祭劇場。写真9は祝祭劇場の傍に立つワーグナーの妻コジマの像。劇場前の臨時の出店では「バイロイト関係グッズ」を販売していた。写真10は出店で求めた「2002年バイロイト音楽祭総合プログラム。写真11は記念切手スタンプ・カバー、また写真12は2007年に限定発売された「イタリア初期盤LP」から板起こしによるCD、フルトヴェングラーの名盤「バイロイト音楽祭1951年~ベートーヴェン第9交響曲」の付録「バイロイト音楽祭1951-総合プログラム(復刻版)」、並びに(写真13)はこの復刻版プログラムから「第9公演」(7月29日)のページである。
1977年に現地から取り寄せた資料が出てきた。(写真14)バイロイト音楽祭1977のリーフレット。(写真15)1977年バイロイト音楽祭出演者・上演日程、演出:ウォルフガング・ワーグナー、指揮:ホルスト・シュタインなどの名前がある。(写真16)はバイロイト祝祭劇場チケット座席料金案内で一番高い席がDM130、安い席がDM12となっている(DM1=約65円)。どの席にしろ手に入りにくいことは当時も今も同じではなかろうか。