フルトヴェングラーの墓参り

「フルトヴェングラーの墓参り」- 1977年9月、ハイデルベルクにて-

1977年9月、「ベートーヴェン音楽祭」(ボン)からの帰途、巨匠フルトヴェングラー(写真1 インターネットから)の墓に立ち寄るため私は列車でネッカー川が流れる古都ハイデルベルクに向かった。 9月13日、滞在したホテルから最寄りの大きな駅「コブレンツ(Konblenz)」より12時39分発の急行「ライン・エクスプレス(Rhein Express)」に乗車、列車は途中ビンゲンブリュック、マインツ、ダルムシュタットに停車、目的地ハイデルベルクには午後3時前に到着(写真2 ハイデルベルクに到着した「ライン・エクスプレス」) 。 この街のシンボルは何といっても古城「ハイデルベルク城」であろう。城から旧市街の展望はまさに絶景である。 晩夏のハイデルベルクはまだ日も幾分長くゆっくり歩いて市内観光が楽しめた。ホテルに戻り早速ロビーのスタッフに「フルトヴェングラーの墓」のことを尋ねたところ誰ひとり詳細を知る人はいなかった。 私は以前にフルトヴェングラーのLPレコード解説に「彼はハイデルベルク市立墓地に埋葬されている・・・」とのくだりを記憶していたので改めて「市立墓地(Städtischen Friedhof)」にはどのように行けばよいのかと聴き直した。 するとホテルの前から市電に乗り「Friedhof(墓地)」で降りなさいと教えてくれた。 翌日(14日)、私はホテル前の通りから市電に乗りフルトヴェングラーが眠る墓地を目指した。 14〜5分はかかっただろうか「フリートホフ(Friedhof)」に到着。 停留所の名称通り目の前が大きな墓地の入り口だった。 墓地入口付近にある案内図を見てもフルトヴェングラーの墓位置が広すぎてわかりにくい。 困っていると幸いに墓の番人らしい人が通りかかったのでフルトヴェングラーの墓の位置を聴いてみた。 対する返事は「Dr.Furtwängler?」と問い直してきた。 私は「そうです」と頷くとその人は親切に墓まで案内してくれた。 墓は少し奥まったところに位置していたので大変助かったことを思い出す(写真3・4 フルトヴェングラーの墓)。 お参りを済ませ次の目的地「マンハイ(Mannheim)」へ向かう(写真5 マンハイム中央駅)。 マンハイムはハイデルベルク中央駅から列車で約10分少々で行けるネッカー川がライン河と合流する街である 。音楽の世界では18世紀中期、宮廷音楽家たちによって「マンハイム楽派」が誕生しまだ20代になったばかりのモーツアルトもこの地を訪問、この楽派の影響を多大に受けたと云われている。 またリリック・ソプラノとして大活躍したオペラ歌手アンネリーゼ・ローテンベルガーもこのマンハイム出身である。 街のシンボルでもある「給水塔」(写真6)を見学後、例によって街のレコード店めぐり、「ドイツ・エレクローラ盤」や「ドイツ・グラモフォン盤」等々を結構買い込み夕方の列車でまたハイデルベルクへユータンした(写真7 列車チケット、ハイデルベルク-マンハイム往復)。
*写真2・3・4・5・6 –筆者撮影)

写真1 ウィルヘルム・フルトヴェングラー

写真2 ハイデルベルク中央駅到着 Rhein-Express

写真3 フルトヴェングラーの墓、ハイデルベルク(1)

写真4 フルトヴェングラーの墓、ハイデルベルク(2)

写真5 ドイツ国鉄(DB)マンハイム中央駅

写真6 マンハイムのシンボル給水塔

写真7 ドイツ国鉄(DB)ハイデルベルク ⇆ マンハイム チケット