ブラチスラヴァ観光
ブラチスラヴァ観光とウィーンへの移動- 1987年12月30日-
1987年も明日は大晦日、残すところあと1日である。今日はウィーンへの移動日なのだが当時ブラチスラヴァからウィーンへの直通列車は朝・夕の2本しかなかった。せっかくブラチスラヴァに来たので市内観光といつものようにレコード店も回ってみたかったので夕方の列車に乗ることにした(写真1 ブラチスラヴァ→ウィーン間の時刻表)。夕方の列車は17時20分発なのでたっぷりと観光する時間がとれた。私は地図を見ながら市電をうまく利用し街のシンボルでもある「ブラチスラヴァ城」(写真2)へ行ってみた。この城は4隅に塔と4つの入城門があるのが特徴である。私が訪れたこの日の天候は曇りだったのでちょっと残念だったが城から見下ろす市内を流れる「ドナウ川」と聖マルティン教会の風景は美しい(写真3)。また旧市街は城壁に囲まれており旧市街に入る一つの門が「ミハイル門」(写真4)で今はこの門だけが残っている。昔は門の内部は「武器庫」として使用され現在は「武器博物館」になっている(写真5 入場券)。 午後はいつものようにレコード店まわりをしてみたがブダペストと比較すると意外に店は少なく品数も少なかった。またCDは全く目にとまらなかった。店数は少ないながら幸いにもジャンルはクラシック関係が中心の店が多かった。チェコのメジャー・レーベル、「スプラフォン盤」がやはり多く日本ではマイナーだった「パントン盤」も目についた。中でもチェコの名指揮者、オタカール・トゥルフリーク(Otakar Trhlík/1922-2005)がオストラヴァ(Ostrava)の「ヤナーチェク・フィル」を振ったヤナーチェクのオペラ「死人の家から」組曲とマルティヌーの交響曲第5番(1980年録音)のちょっと珍しいパントン盤LPを見つけ出し購入した(写真6)。カフェで一休みして市電で駅にむかう。ウィーンへ向かうローカル列車は古いコンパートメントの客車だった。ブラチスラヴァからウィーンまでの鉄道路線距離は66kmだが東側から西側に入るため当時は国境駅、チェコ側デヴィンスカ・ノヴァ・ヴェス(Devínska Nová Ves)で40分、オーストリア側マルヒエック(Marchegg)で55分、パスポート・チェックで停車する。そのためウィーンまでの所要時間が約3時間も要することになる。この日もウィーン南駅にほぼ定刻に着いたが精神的に疲れてしまった。因みに現在では列車の本数も1時間に1本と大変便利になり所要時間も約1時間で結んでいる。
明日はいよいよ大晦日、「ウィーン・コンツェルトハウス」でのダブル・ヘッダーのコンサートが控えている。(つづく)