ミュンヘン・フィル初来日公演を聴く、1972
~1972年2月5日、東京文化会館 ~
1972年2月「ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団」が「NHK」の招聘で初来日した。当時開催された「札幌オリンピック冬季大会」の芸術行事にも参加、全国11都市で延べ12公演を行った(写真1 初来日東京公演チラシ/写真2 チラシ中開き)。当初、私は当時の首席指揮者ルドルフ・ケンペの来日も期待したが健康上の事情もあってかチェコ・フィルの首席指揮者ヴァーツラフ・ノイマンが予定された。(札幌・仙台・東京・名古屋・松山・福岡各公演/岡山・高松・北九州各公演は新鋭指揮者ハンス・ツェンダーが予定通り振る)。しかしこれも直前に当時の「チェコスロヴァキア政府」が彼に出国許可を認めなかったため急遽前首席指揮者フリッツ・リーガーが代行することになった(写真3 初来日公演プログラム表紙/写真4 プログラムに挿入された指揮者変更の知らせ)。またソリストには世界的「ベートーヴェン弾き」で著名なハンス・リヒター=ハーザー、大活躍中の女流バイオリニスト エディット・パイネマン、さらにパヴロ・カザルスの薫陶を受け国際的評価も高い女流チェリスト、アンゲリカ・マイが同行し好評を得た。東京公演は2月5日・6日の両日、午後6時30分から「東京文化会館」で開催され私は5日のプログラムを鑑賞した(写真5 東京公演2/5・6の演奏曲目)。注目はやはりリヒター=ハーザーが弾くベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」である。リヒター=ハーザーは1912年生まれで当時60歳、これまで私は彼のベートーヴェンのピアノ協奏曲をレコードで「第3番」(ジュリーニ指揮)や「第5番<皇帝>」(ケルテス指揮)管弦楽はどちらも「フィルハーモニア管弦楽団」で聴いてはいたが彼の生演奏聴くのはこの時が初めてだった。このミュンヘン・フィルとの演奏も骨太で深い趣きを感じたベートーヴェンだったと記憶している。この演奏は後日「NHK教育テレビ」では深夜に放送されたと思うが「FM」で放送されなかったのが残念だった。彼は1980年12月北ドイツ、ハノーファーの近郊の工業都市ブラウンシュヴァイク(Braunschweig)で演奏中に68歳で急逝されたと聴いている。写真6は演奏会当日OFFで会場に同席していたチェリスト、アンゲリカ・マイに入れてもらったサイン。写真7は指揮者フリッツ・リーガーのサイン。写真8は公演チケットである。