忘れ得ぬTEE「ラインゴルト(ラインの黄金)」

列車愛称名をリヒャルト・ワーグナーの楽劇「ラインの黄金」に因んで付けられたTEE「ラインゴルト(Rheingold)」の運行が終了した年は1987年5月末のことだった。 この列車の前身となる運行開始は戦前の1928年まで遡る。 当時はオランダの「フーク・ファン・ホラント(Hoek van Holland)」(ロッテルダム近郊)からスイスのバーゼル(Basel)を結ぶ通常の急行列車より格上の長距離急行列車として誕生した。 第二次大戦中は一時運行の中断を余儀なくされるが戦後すぐ無名の長距離急行として運行が再開され1951年から「ラインゴルト急行」という名称で運行されている。 この列車が本格的に「TEE」に昇格した年は1965年のことである。 昇格が遅れた理由のひとつにこの列車の途中駅での複雑な分割・併合運転にあったようである。 ちなみにこの時の運行区間はアムステルダム、フーク・ファンホラント⇔ジネーヴ間だった。
筆者はこの列車の最盛期1980年代に一部区間ではあるがライン川沿いを以前紹介した(漫遊記38)急行列車「ライン・エキスプレス」と共に乗車する機会を得て忘れ得ぬ列車となった(写真1  ライン・エキスプレス1979年DB運行パンフレット)。 写真2は1977年-78年当時のTEE運行路線図(1977年/ 78年冬季版DB総合時刻表から)、写真3は当時の「ラインゴルト」運行時刻表である。 また写真4は1983年「DB」発行の日本向けのドイツ語・日本語表記の「ラインゴルト」宣伝用パンフレット冊子表紙、さらに写真5は「シエラレオネ共和国」(西アフリカ)発行のライン川沿いを走る「ラインゴルト」をデザインした珍しい切手シートである。 写真6は電話調並みに分厚い「1977 / 78年冬季版DB総合時刻表」の表紙である。

写真1    ライン・エキスプレス」DB運行パンフレット(1979年)

写真2    TEE路線図(1977-78年冬季DB総合時刻表から)

写真3    TEEライン・ゴルトの運行時刻表(1977年-78年冬季DB時刻表から)

写真4    TEE「ライン・ゴルト」DB発行日本向け案内パンフレット(1983年独語・日本語表記版表紙)

写真5    シエラレオネ共和国発行(西アフリカ)ライン・ゴルトをデザインした切手シート

写真6    1977-78冬季DB鉄道総合時刻表 表紙