米国二大オーケストラ初来日を振り返る

戦後の日本クラシック音楽界黎明期

旧NBC交響楽団とロスフィル の来日- 1955年〜1956年-

昭和30年(1955年)5月、アメリカから「シンフォニー・オブ・ジ・エアー(Symphony Of The Air)」というオーケストラがやって来た(写真1 1955年初来日公演プログラム表紙)。戦後10年、ようやく日本のクラシック音楽界も黎明期の時代に入ろうとしていた頃である。この楽団の前身は公演チケットにも記載があるように「NBCトスカニーニ交響楽団」である(写真2 公演チケット)。今回は私の手元にあるこの時代の資料コレクションを紹介しながら当時を振り返ってみたいと思う。
前身の「NBC(トスカニーニ)交響楽団」は「米NBC放送局」専属のオーケストラで20世紀の巨匠トスカニーニの演奏を放送・録音することを主目的に1937年に創立された。その後およそ17年間の活動を経て1954年4月、トスカニーニの引退により「NBC放送網」との関係も終了したが放送の趣旨を引き継ぎ名称を「シンフォニー・オブ・ジ・エアー(放送のためのオーケストラ)」に改め1963年の解散までその活動は続いた。この来日公演は戦後初の外来オーケストラとしてクラシック音楽関係者やファンに大きな衝撃を与えたことは間違いない。当時同行した指揮者はワルター・ヘンドル(Walter Hendl/1917-2007)と10日遅れで来日のソーア・ジョンソン(Thor Johnson/1913-1975)(写真3 指揮者等紹介)。ジョンソンは5/18からのプログラムを担当した(写真4 公演日程)。またこのプログラムには記載はないが5月23日の「後楽園球場」特設ステージでのソーア・ジョンソンの指揮によるNHK交響楽団との合同演奏会ニュース映像、芥川 也寸志「交響管弦楽のための音楽」の演奏が印象に残る。
翌1956年6月、今度はアメリカ西海岸から「ロサンゼルス・フィルハーモニック」が初来日し注目を浴びる(写真5 当時の来日公演チラシ)。当時の公演プログラムや公演チラシは「ロサンゼルス交響楽団」と表記(写真6 ロサンゼルス・フィル初来日公演プログラム表紙・1956)。東京を皮切りに延べ13公演を行った。指揮者には当時の音楽監督アルフレッド・ウォーレンスティン(Alfred Wallenstein/1898-1983)と副指揮者のジョン・バーネット(John Barnett)も同行した。プログラムもAプロからFプロまで用意されバラエティーに富んだ構成、アメリカの作曲家作品も各プログラムに取り上げている。写真7・8は「米キャピトル・レコード」の「ロサンゼルス・フィル」が「ハリウッドボール交響楽団」の名称で録音したLP盤とEP盤(17cm盤)の宣伝チラシである。カーメン・ドラゴン、フェリックス・スラットキン(レナード・ スラットキンの父)など古き良き時代を思い起す。

写真1 戦後初来日の「シンフォニー オブ ジ エアー」公演プログラム表紙

写真2 「シンフォニー オブ ジ エアー」公演チケット

写真3 「シンフォニー オブ ジ エアー」同行指揮者等紹介

写真4 「シンフォニー オブ ジ エアー」来日公演日程

写真5 「ロサンゼルス フィルハーモニック(チラシはロサンゼルス交響楽団と表記)初来日公演チラシ

写真6 「ロサンゼルス フィル」初来日公演1956プログラム表紙

写真7 1956年当時の「米キャピトルレコード」の日本宣伝チラシ

写真8 「米キャピトルレコード盤」宣伝紹介