シフラその7(完)
シフラの演奏について考えてをみると、その属性が舞台役者じみている事に気が付きます。 陽性の印象が大きいと言えましょうか。 所謂エンターテナーと言える顔をのぞかせます。 それゆえに、舞台上での実際の演技に触れることが(演奏と言っても良いと思いますが、ここでは舞台上の演技者として考えて)シフラと言うピアニストの素性を見やすくし、明らかにすることになるのです。 他のどのピアニストにもまして実際の演奏を聴きシフラの立ち振る舞いと、指先から流れでる音楽を鑑賞することをしないとシフラと言うピアニストの本性は分かり難いのではないでしょうか。
問題は、もう既にこの世の人でないピアニストを理解するには、実演を聞く必要があるかのごとき言い回しをしている事です。 これには筆者自身も困惑しております。 不可能なことを言ってその不可能なことが出来なければシフラを理解するのは難しいと言うのは筆者自身もまた、一番言われたくない事柄であるからです。 アルフレッド・コルトーの演奏について実際に聞いたこともないのに「何が分かる」と若い時に痛烈に批判されたこともありました。 多くの人達がその様な目にあっていると推測されます。ここで筆者が言いたいのは、CDなりレコードなりで十分に過去のピアニストの演奏を楽しみ享受し演奏の本質を見ることは出来るのだと言うことと、他の方々の述べることも含めて本文の様な文章を足掛かりにピアニストの演奏芸術を想像し自分なりの舞台をそこに想像してみることも、音楽とピアニストの個性を楽しむことになるのだという事です。 筆者の文章を足掛かりなどとは恥ずかしくなりますので忘れて頂ければと思いますが。
1981年までのシフラはまさしく舞台役者の、その様なピアニストでした。 超絶技巧をはなはだしく無いように、聴衆も本人も超絶技巧がキーポイントであるのは分かっているのですが、全面に技巧を押し出さずに発揮しクラシック音楽のピアニストとしては異例の笑いを取る立ち振る舞いの愛すべき「タレント(文字通り才能)」であったのです。
1981年に音楽的才能に恵まれた指揮者の息子を火事で失ったところからシフラの人生は変わってしまったのです。 誰でも大切な人を失えば大きな絶望を味わい、立ち直ることが難しくなるのは同じことです。 シフラはそれ以降さしたる活躍をすることなく輝かしいピアニストの表舞台から去って行ったのです。 復帰しようと努力したこともありますが、最後まで輝きを取りもどすことなくこの世と言う舞台からも撤退して行きました。
シフラほどに幸福と不幸、希望と絶望の人生の光と影について考えさせられるピアニストはいないように感じます。 それからフランツ・リストのピアノ曲の演奏に思いをはせる時必ず思い浮かぶピアニストです。 リストが今に至るも誤解され続けている作曲家であるのと同様、シフラも又、どこかで誤解されたままなのではないかと言う思いがするのです。 偉大なリスト弾き、リストの再来、極めて気真面目な意味を込めて、改めてジョルジュ・シフラをそう呼んで本文を終了したいと思います。
(完)
リスト:ピアノ協奏曲第1番, 第2番/死の舞踏/ハンガリー幻想曲(シフラ/シフラJr):(https://ml.naxos.jp/album/5099960232458):シフラ親子の協演