ノブヤンのひとりごと 15(音楽教師としての備忘録 6/7)

〜指揮棒に秘められた三戸先生の愛情、次なる関東大会は栃木県の足利市民会館!〜

私にとって初の関東大会の舞台は、栃木県足利市にある足利市民会館大ホールで、期日は県大会から約1ヶ月後の9月27日(日)でした(写真1) 。

写真1 関東大会プログラム表紙

当時の関東大会は千葉県・茨城県・埼玉県・栃木県・群馬県・新潟県・山梨県・神奈川県の8県からなり、各県の代表は2枠、開催県だけは3枠の合計17校で行われていました。 参加学校数が増えた現在は、東関東と西関東に分かれています。
9月になり、出場が決まった学校の代表者(ほとんどが指揮をする顧問の先生)が会場の足利市民会館に集まって、打ち合わせが行われました。 そこでは実施要項の内容確認、そして出場順のくじ引き(私は4番目をひく)、最後に大ホール内での楽器置き場、リハーサル室からステージ、そして退場への一連の流れの説明を受けて解散となりました。
出演が朝の4番目となると、当然前日からの泊まり、翌日は早朝起床からの準備となりそうです。 市民会館での打ち合わせを終え、柏へ戻る前に足利市内の書店に寄って、とりあえず市街図を買いました。 車の中で地図を広げ、市内全体から市民会館の位置関係を見ていると、『足利学校』の文字が眼に入ります! 昔日本史の授業で習った「日本で最初の学校」という記憶が思い出され、早速車で行ってみました。 中には入りませんでしたが、外から見ても歴史を感じさせるたたずまいに心惹かれ、なにも京都・奈良だけが修学旅行の行き先ではないぞ!との思いで、ここの見学を1日目のスケジュールに取り込むことを考えました。 コンクールのために来ている中学生には、全く興味が湧かないことは想像できましたが、「足利学校」の地に立ったという経験が、誰か将来のどこかで役立ってくれれば…という思いです。

さて2学期に入り、コンクールまでのカウントダウンが始まったある日のこと、県吹奏楽連盟理事長の三戸先生が、関東大会初陣の私に対し、激励のため突然来校されました。 なんと、「香取神宮」(千葉県香取市)で願かけをしたお守り・おふだ・御神酒・指揮棒(手持ち部分のコルクのすぐ上におふだを丸めたもの)を持ってきてくれたのです!!(写真2、3、4、5、6)。

写真2 三戸先生からの激励品

写真3 お守り

写真4 香取神宮の「おふだ」

写真5 御神酒

写真6 「おふだ」が巻かれた指揮棒

「香取神宮」は武道・戦いの神様として、スポーツの世界では多くの人が願かけに訪れる聖地として有名ですが、「三戸」のご老公は、私のための必勝祈願に香取神宮に行ってくださったのでした。 本当にありがたいことです。
いただいた「おふだ」は、コンクールまで音楽室の黒板の上に飾り、その後は私が持ち帰りました。 我が家には神棚が無いので、自宅2階にある本棚の一番上の棚に置いていましたが、以前住んでいた家で雨漏りがあった時、「おふだ」が濡れて汚れてしまいました。 亡き三戸先生には申し訳ないことをしてしまいましたが、三戸先生から受けた温情は今でも忘れることができません。 もちろん指揮棒はコンクール本番で活躍し、出番直前のステージ袖で待機をしている私の精神安定剤でした。

ところで、香取神宮から歩いて行ける「佐原(さわら)」地区には、正確な日本地図を完成させた伊能忠敬の住居跡があり、また、すぐ近くを流れる茨城県との境の利根川を挟んだ対面には、これも戦いの神様の「鹿島神宮 」があります。 「鹿島神宮 」・「香取神宮」は昔から日本人の心の支えとなる戦いの神様を祀った二つの大きな神社ですが、高い木立ちの深い森の中に鎮座した静寂な空気感の社(やしろ)に触れる時、私はいつも三戸先生のことを思い出します。

コンクールに向けて出発する9月26日(土)の朝、部員達はいつも通りの朝練習を行ってからクラスの朝の会に出席し、級友たちからのエールを受けて校舎正面玄関前に集合しました(当時は土曜日も半日の授業がある時代)。 貸し切りバスはすでにエンジンをかけて待機、楽器運搬はPTA会長と副会長の二人が運転するレンタカーのトラックです。 引率教員として男子生徒用には私と教頭先生、女子生徒用には同じ音楽の女性の先生と私のカミさん、あと部員のお母さん2人にも来ていただきました。
宿舎は関東吹奏楽連盟からの紹介はあったものの、足利市内はすでにうまっており、あとは車の移動でそんなに時間がかからない、隣り町の群馬県桐生市の旅館となりました。 ただ男子用と女子用に分けたときに、1カ所では収まらないことから、やむを得ず2カ所の旅館での分散宿泊となりました。
そして次なる問題は、練習会場の確保です。 広さとして最も条件がいいのは学校の体育館ですが、足利市や桐生市の学校に縁故関係がある職員などどこにもいません。 そこで私は、たまたま手もとにあった自分の卒業した大学の同窓会名簿から、卒業生が校長をしている学校を探しだし、電話による直談判となりました。
断られた学校もありましたが、幸い足利市では「市立柳原小学校」(現在は市立けやき小学校)、桐生市では「市立桐生西中学校」(現在は市立西公民館分館)の校長先生に了解をいただきました。 2校とも地理的な条件では申し分ないところにあり、本当にありがたかったです(写真7、8)。

写真7 保護者向け、手書きの「足利」案内図IMG_3110

写真8 「桐生」案内図

1日目はちょうどお昼頃に足利市内に入り、「足利学校」見学の後ここで昼食をとりました。 その後バスで10分もかからない場所にある「柳原小」では、校長先生自ら出迎えていただき、14時から16時までの2時間の練習にもおつきあいいただきました。 その後はバスで桐生方面にむかい、男女別の分散宿泊となりました。
そして翌日、いよいよ本番の日の朝は5時30分起床、朝食を済ませ6時30分に旅館を出て、全員徒歩で「西中学校」にむかいます。 2カ所の分散宿泊ですが、共に国鉄(JR)桐生駅のすぐ前にあり、「西中学校」までは歩いて16〜7分で行ける距離でしたから、バスを使わない方法にしました。 「西中学校」に着くと、校長先生からの頼みということで、教頭先生が正門を開け、体育館を開けて待っていてくれました。 体育館では7時から50分ほどの練習を行い、8時に出発して足利市民会館に向かいました。

日曜日の朝早くから見ず知らずの我々を受け入れてくださった「西中学校」の教頭先生、そして校長先生のお二人の対応には、ただただ頭が下がり、感謝しかありませんでした。 そして、この桐生と足利の2つの学校から、本当に人の情けのありがたさを学ばさせていただきました。

さてコンクール4番目の演奏は、10時15分からの12分間であっという間に終わり、退場後すぐに楽器をあわただしくトラックに積み込んだあと、客席に入って他校の演奏を聴き始めた時に、ようやくほっとできる時間がきました。
結果は金賞をいただきましたが、全国大会に行く上位3校の枠には届きませんでした。 審査評も県大会より厳しい評価となりましたが、それは当然のことだろうと思います (写真9、10、11)。

写真9 コンクール審査評 A

写真10 コンクール審査評 B

写真11 コンクール審査評 C

後に吹奏楽の専門誌「バンドジャーナル」の12月号では、審査員の一人が書かれた記事が掲載されていますが、ファゴットの演奏は高く評価していただきました (写真12)。

写真12 バンドジャーナルの掲載部分

足利から柏への東北自動車道を走る帰りのバスの中は、みんなも疲れていて静かな時間が流れていました。 私も疲れはあったものの、ファゴットのO君の成長から「魔法使いの弟子」への選曲、三戸先生に楽譜を借りに行ったことから激励の品々をいただいたこと、そして電話の直談判だけで体育館使用の許可をだしてくださった2つの学校のことなど、これまでのことが走馬燈のように頭を巡っていました。
ようやく学校には18時過ぎに到着、楽器の片付けと簡単な反省会を行って19時過ぎに解散となりました。9月の27日ともなれば、まわりには秋の気配が感じられます。 静かな職員室で自分のイスに座ると、約半年間走り続けてきた夢から覚めたような気持ちになりました……あー、明日は月曜の授業だ…。

さて、名ファゴット奏者O君の生みの親のM先輩とは?……