ノブヤンのひとりごと18(「ベートーヴェン〜4番〜4楽章  」)

ノブヤンのひとりごと18

「ベートーヴェン〜4番〜4楽章  」

このタイトルの次に「朝比奈 〜 クライバー」と続けば……『あーあ、あのことね?!』となる方には、もうこの時点で内容が完結する話……という「ひとりごと」です。
今回のテーマの内容は、『テンポを決めるのは指揮者の特権、そしてその演奏の是非』、そこにプラスして演奏者側から正直な一言!

事の発端は、私が持っている「朝比奈 隆指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団演奏、ベートーヴェン・ベスト 録音1996〜1997」(宇野功芳監修・選曲・解説 ポニーキャニオン発売)の1枚のCDを、本当に久しぶりにCDデッキにかけ、そして最初に鳴りだした第1番・第1楽章のあまりにも堂々とした導入の演奏に鳥肌が立ち、そのまま聴き入ってしまったこと……ここが始まりでした。(もちろんこのCDを購入した時に一度は聴いていたはずなのですが………)→【写真1】

写真1 朝比奈 隆 ベートーヴェン・ベスト

続く2番目のトラックには第3番「英雄」の2楽章、そして3番目のトラックに入ると第4番の4楽章……ここです!!……そのあまりのテンポの遅さに、私はニヤニヤしてしまいました。ここでの演奏は、まるで頑固一徹の厳しい親方の命令一下、懸命に細部を仕上げる弟子の職人たちからなるオーケストラのようであり、また私が顧問をしていた中学校の吹奏楽部のある日、指定の2倍くらいのゆっくりとしたテンポにメトロノームをセットし、これに合わせて合奏練習をした時の姿……に聞こえてきたからです。
とにかくこのCDで聴く「朝比奈〜大フィル」のベートーヴェンからは、古楽器による小編成のオーケストラの響きやスマートさは聞こえてこず、むかし自分が中学生の頃に、まるで一つ一つの扉を開けるようにして「9つのベートーヴェンの交響曲」の世界に出会い、感動し、勇気づけられていった時のなつかしい感触が、不思議によみがえってきました。
カラヤン、ワルター、セル、イッセルシュテット、フルトヴェングラー、マズア、バーンスタイン、ケーゲル……ただただ西欧のオーケストラを崇拝するかのように私が買い集めたこれまでのベートーヴェンのレコードやCD、それらに比べて…《朝比奈ファンの方には大変申し訳ないのですが》…私にはまるで「灯台もと暗し」の如く、『関西発“日本人のベートーヴェン?”再発見!』となってしまいました。
早速「朝比奈〜ベートーヴェン全集」を探しにお茶の水のディスクユニオンに行った時、幸いにも「ベートーヴェンベスト盤」と同じ1996年〜1997年録音のSACDの全集が、青シール10%引きという特売で中古価格よりも更に安く手に入れることができ、見つけた時は思わず(小さな声で)快哉を叫びました。SACD用にリマスターされたこのライブ盤は、CD仕様のベスト盤よりも更にホールの空気感が感じられるような臨場感があり、私の新たなコレクションの一つとなっています。→【写真2】

写真2 朝比奈 隆 ベートーヴェン全集 SACD盤

そこでこの話を、吹奏楽部員だった私の教え子のクラシック音楽ファンのS君にLineで連絡をすると、早速帰ってきた返事が、相も変わらずマニアックな返事で私を楽しませてくれたのです。
「先生、この全集(CD盤)は僕も持っていますが、朝比奈隆のベートーヴェンの中では全盛期のもので、しかもザ・シンフォニーホールという響きの良いホールの、いい音で録音されたライブ盤でお薦めです。一番良いのは何番?と聞かれれば、迷わず4番!特に4楽章!と答えますね。カルロス・クライバーやムラヴィンスキーの超快速が名演とされる中、あの堂々たるスローテンポは、朝比奈隆の無骨さ、巨大さを感じます。4番は名演の誉れ高いカルロス・クライバーを聴いた後に朝比奈隆を聴くと、その違いに唖然とします……」

これは面白い情報でした。アルトゥスから出ているムラヴィンスキーの来日演奏のライブ盤は、すでに持っていましたから、改めて4楽章を聴いてみると確かに速い! しかし一糸乱れぬ快速の演奏は、グリンカの序曲「ルスランとリュドミラ」で証明済みですから、このムラヴィンスキー指揮のレニングラードフィルでは至極当然のことのように私は感じていたのかもしれません。→【写真3】

写真3 ムラヴィンスキー ベートーヴェン4番

しかしクライバーの方は持っていませんので、ここはヤフオクを頼っての入札……そして落札後に送られてきたCDを早速CDデッキへ、間髪入れずリモコンで第4楽章……いやいやこれは速い!世界最速の世界新レベル!! 演奏はバイエルン国立管弦楽団で、かつて楽長だったカール・ベームを偲んだ演奏会でのライブ録音、オルフェオから発売された輸入盤のようです。→【写真4】

写真4 クライバー ベートーヴェン4番

そして日本での発売のために、レコード発売時のジャケット裏面の解説のコピーが、四つ折りの紙1枚にライナーノートとして添付されていました。その解説の中のクライバーの言葉として「私がレコーディングにOKを出すことは恐怖だが、このライブ録音は喜びを持って承認させてくれた〜〜」と述べており、この演奏・録音はクライバー自身も十分に納得ができる快演だったようです。→【写真5】

写真5 クライバー盤のライナーノートの一部

私の中では「3番の英雄・5番の運命」に挟まれたタイトル無しのベートーヴェンの第4交響曲は、ずっとマイナーな位置付けでしかなかったのですが、カルロス・クライバーの手にかかると、アクロバットのようなスリルに満ち、ワクワク・ドキドキさせる交響曲に変身していました。

またこの4楽章の後半あたりに出てくるのが印象的なファゴットの「パッセージ」(経過句ともいい、つなぎのような部分)では、見事な名人芸が発揮されています。たった3小節ほどですが、細かい16分音符からなる音階の組み合わせの音を、全てタンギングをし、猛スピードで駆け抜けるこの場所は、いつもハラハラするところですが、バイエルン国立管弦楽団のファゴット奏者は見事吹ききっていますね!このクライバーのテンポに限らずここのパッセージは、ファゴット奏者にとってテクニックを証明する必須の場所でもあり、ファゴットでプロのオーケストラに入団する時の課題曲としていつも使われているようです。また4楽章の締めくくりの前には、再び同じようなパッセージを超速でクラリネット〜ファゴットで演奏され、このオーケストラのレベルの高さを見せてくれています。
そして4楽章最後のゴールに飛び込んだ後の熱烈な拍手!!3分以上にわたり、おまけとして5番目のトラックに録音されていますが、沸騰したホールの熱さが伝わってきます。

次に、いよいよS君から紹介された通り朝比奈のベト4の4楽章へ……うーん……遅い!……驚くほど遅い!!……笑ってしまうほど遅い!!!……なぜこのテンポ??……
しかし、音楽は決して弛緩しないところが巨匠の成せる技か?……そこで改めて1楽章から聴き直してみると、第4楽章をこのテンポで締めくくることで、朝比奈が目指す堂々たるベートーヴェン像が浮かび上がってきました。通して聴いてみることで『このテンポもアリかな?!』と、朝比奈隆の意図が初めて分かるような気がしてきます。
あえてこの2つの演奏を例えるならば〜『重厚壮大な高級セダンの朝比奈か、目にもとまらぬ速さで駆け抜けるスポーツカーのクライバーか』〜でしょうか?!

よーし、こうなったらメトロノームを使って速さ(テンポ)を測って比較してみようと、ヒマな人間丸出しの作業に取りかかりました。
今どきの携帯電子メトロノームは、ポケットに収まるほどのコンパクトサイズであり、これまでのような振り子式のメトロノームでは絶対にできない便利な機能が付いています。それは「タップ機能」といって、今聴いている音楽のテンポを瞬時に数字で表してくれるというものです。→【写真6】

写真6 携帯式電子メトロノーム

使い方は、聴いている音楽のテンポに合わせて「タップボタン」を2度・3度・4度とたたけば、その「たたく間隔の時間」を読み取って数字として表示してくれます。以前の振り子式のメトロノームで同じ事をやろうとすれば、いちいち振り子を止め、そこに付いている重りを上下に動かし、それが音楽に合っていなければ同じ事を何度も繰り返して合わせていく…という作業になってしまいますね。

いよいよ測定に入ります……もちろん演奏は生き物ですから、ずっと同じテンポではありません……とりあえず4楽章始まりのところのヴァイオリンの細かい動きの部分をタップ機能で計ってみます……楽譜では4分の2拍子になっていますので、4分音符を1拍としてのテンポになります……

・朝比奈………100〜102
・クライバー…150〜152

やはり驚くべき違いです。この数値だけを見れば、とても同じ曲とは思えませんね。
しかしせっかくなので、他の指揮者でも計ってみました。

・ムラヴィンスキー……148(やはり速い)
・カラヤン………………138
・ケーゲル………………130
・ワルター………………128
・イッセルシュテット…128
・セル……………………126
・チェリビダッケ………125
・フルトヴェングラー…122〜124

 こうしてみると、平均的に「130前後」のテンポに集約されてきますが、とにかく朝比奈とクライバーのテンポは、私が持っている音源では両極端に位置していることには間違いないと思われます。

 ここまでの私がやったことは本当にヒマ人の戯れ言に過ぎませんが、ちょっと深入りしてみたくなり、N響でファゴットを吹いている教え子のM君に連絡をとってみました。

私「ベートーヴェンの第4交響曲の4楽章、クライバーのスリリングな演奏と比べると、カラヤンやワルターが全くの凡演にしか聞こえてこないが、プロのオーケストラ奏者から見てどんなものなのか? また朝比奈のような遅いテンポの演奏では、逆の意味でオーケストラ側はやりにくくはないのか?」

M君「二人ともやり過ぎですね。まず楽譜にあるベートーヴェンが指定したメトロノームのテンポが、2分音符で80となっています。つまり4分音符では160になりますが、これはどう考えても演奏不可能な速いテンポですよ。もっとも当時のメトロノームが、どこまで信頼ができるものだったかは研究者の中でも諸説あるようです。また楽譜に記された速さの記号では『アレグロ マ ノン トロッポ』→《速く、しかし過度にならないように》となっています。→【写真7】

写真7 ベートーヴェン交響曲4番4楽章 スコア

【注釈→アレグロ…速く、 マ…しかし、 ノン…〜ではなく(否定語)、 トロッポ…過度に】
実はここにベートーヴェンがメトロノームで指定したテンポと音楽記号とがうまく合わないところが出てきてしまうのですが……。
朝比奈さんとはこの4番をN響で演奏したことがあります。が……4楽章は、サンサーンスの動物の謝肉祭の「かめ」を演奏している気分になりました。遅いテンポの演奏では、朝比奈さんから巨匠の風格を感じることも多いのですが、ただ二人を比べると、クライバーの方がベートーヴェンの意図した音楽に近いかなと思いますよ。」

  実に丁寧な返信を返してくれました!
30年以上にわたり日本のトップクラスのオーケストラの中にいて、世界の名だたる指揮者の厳しい要求に応えた演奏をいろいろと繰り広げてきたM君から出た『動物の謝肉祭の「かめ」』……この時の朝比奈 隆とN響との間に……はたしてどんな緊張感があったのか……興味は尽きません!