kenのひとりごと(忘れられないオペラ公演、1988年バイエルン国立歌劇場日本公演『ニュルンベルクのマイスタージンガー』)

忘れられないオペラ公演

~1988年バイエルン国立歌劇場日本公演『ニュルンベルクのマイスタージンガー』~

筆者の誕生日は12月25日。 物心ついた時から、家族は誕生日とクリスマスを一緒に祝ってくれた。 つまりプレゼントをもらえるのは年に1度だけ。 誕生日であれクリスマスであれ、プレゼントをもらえるだけで有難いのだが、1988年、高校2年の誕生日プレゼントに、筆者たっての希望によりオペラ公演の予約の約束をとりつけた(小学校の頃、プレゼントが1回であったことも理由にしてお願いした)。 いまより安価とはいえ贅沢なプレゼント。 春休みのアルバイト代からチケット代の半額を支払う約束をし、今回のオペラ上演がいかに貴重なものか両親にプレゼン(説明)した上で、チケットを予約した。 そして初めて海外オペラの公演(引越し公演)を観ることができた。 それが、バイエルン国立歌劇場(以下、ミュンヘン・オペラ)の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』である。

1988年は「オペラブーム」と呼ばれ、ミュンヘン・オペラのほかにもミラノ・スカラ座、メトロポリタン歌劇場が来日した。 ちなみに、オペラ以外でも来日した有名オーケストラは、ヘルシンキ・フィル(カム、ベルグルンド)、ハンガリー国立響(A.フィッシャー、小林研一郎)サンフランシスコ響(ブロムシュテット)、イスラエル・フィル(メータ)、ヨーロッパ室内管(アバド)、ケルン放送響(ベルティーニ)、アカデミー室内管(マリナー)、ベルリン・フィル(カラヤン)、バイエルン放送響(C.デイヴィス)、ベルリン・シュターツカペレ(スウィトナー、コシュラー)、パリオペラ座管(プレートル)、フィルハーモニア管(シノーポリ)、モスクワ放送響(フェドセーエフ)、ロサンゼルス・フィル(プレヴィン)、ロンドン・フィル(テンシュテット、スラトキン)、チェコ・フィル(ノイマン、ビエロフラーヴェク、ペシェク)、オスロ・フィル(ヤンソンス)、ベルリン放送響(レーグナー)という豪華さである。 日本のクラシック界における、バブル経済崩壊前、昭和最後の輝きとでもいうべきか。 カラヤン最後の来日公演も時代の終わりを象徴する出来事だった(FM放送で生中継を聴くことができた)。 この時、ミュンヘン・オペラとミラノ・スカラ座は東京・横浜・大阪でオペラを4演目も上演した(註)。

なかでもミュンヘン・オペラの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、スカラ座とともに、この年の目玉公演として注目された。 上演されたのは、サヴァリッシュ指揮、エヴァディングの演出で、1979年にお披露目されたプロダクション。 1979年のプレミエでは主役のザックスをディートリッヒ・F=ディースカウが歌っていた。 ザックス役は、4時間近く歌い続けるスタミナはもちろん、作曲者や演出家が理想とするキャラクター像が求められる。 ディースカウのザックスは言葉を重んじていて、知的で哲学者風。ヨッフム指揮のCDからもその歌唱を聴くことができる。 そうしたザックスもよいが、例えばテオ・アダムやベルント・ヴァイクルのような人間的で庶民的なザックスにも魅かれる。 2人のザックスはビデオで視聴できたのだが、とくに3幕1場後半にエヴァに対する恋心や靴職人としての愚痴を吐き出す場面での、アダムやヴァイクルの声と演技は胸を打つ。 話題がザックスになってしまった。 筆者が観た1988年11月18日(同演目2日目)の配役は以下の通り。当時絶頂期のヴァイクルがザックス役で登場した。

ザックス:ベルント・ヴァイクル

エヴァ:ルチア・ポップ

ポーグナー:ヤン=ヘンドリック・ローターリング

べックメッサ―:ヘルマン・プライ

ワルター:ルネ・コロ

ダーヴィド:ペーター・シュライヤー

マクダレーネ:コルネリア・ヴルコップ

夜警:クルト・モル

当日、会場のNHKホールで配役を確認した時には「凄い」と思わず声を上げてしまった。 夢のような配役である。 初日はクルト・モルがポーグナーを歌っているが、2日目は夜警を歌うという何とも贅沢なキャスティング。 本場ミュンヘンでもこうした配役はなかったという。 なお急遽追加された横浜の公演ではテオ・アダムがザックスを歌った(コロとプライは降板)。 オペラで感動することは容易ではない。 指揮者や歌手の演奏、演出、空間、聴き手の体調(オペラは総じて長いので体調管理も大切)によって印象が変わる。 果たして、この上演はNHKホールという空間の制約がありつつも、未曽有の祝祭的な上演となった。 日本公演ではエキストラが多いため、統一感や音の一体性に難点があったことは否めない。 しかしサヴァリッシュはじめ、この上演に参加したまさに名歌手たちが、ここぞとばかりの本気を出した上演は、筆者の青春時代の忘れられない思い出として、いまも心に刻まれている。 2幕終盤の5重唱は圧巻(まるで3大テノールのような声のシャワー)で、コロの優勝歌やザックスのモノローグも印象的である。 長いオペラ作品だがこのオペラに接するとドイツ中世都市の特別な2日間を実体験している錯覚に陥る。 この作品は第二次大戦中に政治利用されてしまうが、ワーグナー作品としては『ニーベルンクの指輪』『トリスタンとイゾルデ』に並ぶ最高傑作であることは確かだ。 ワーグナーお得意のライトモチーフの使い方も巧みで、お祭り騒ぎに止まらない、緻密なアンサンブルも堪能できる。 ワーグナーは規格外の人物であるが、クリエーターとしての才能や実力がこの作品に凝縮されている。 有名な前奏曲だけではもったいない。 ぜひCDやDVDなどで全曲に触れていただきたいと思う。

なお日本公演の様子は教育テレビのETV8『オペラブームの舞台裏』という番組で本番の様子が一部紹介されただけで、全曲放送はされていない(『アラベラ』については全曲が録画、放送されている)。 惜しいことに録音・録画もなかったようである。 本場ミュンヘンでは毎年フェスティバルの最終日に上演されていたが、サヴァリッシュとエヴァディングとの確執があったためか映像が日本で公開されることはなかった(録音・録画もされていないのかもしれない)。 舞台装置は木や緑を多用した美しい舞台で衣装も華やか。 全体にエヴァディング特有の明るくわかりやすい演出だった。 いまや実演に接した人のみが体験できた幻の上演になってしまったことが残念である。 この公演以降、数少ない海外でのオペラ体験を含め、記憶に残る感動的なオペラ上演にはほとんど接していないように思う。 印象に残っているのは、同年9月のミラノ・スカラ座『ナブッコ』、1992年11月のミュンヘン・オペラ『影の無い女』『フィガロの結婚』、1993年5月~6月のメトロポリタン・オペラ『ワルキューレ』、2002年1月~2月のベルリン国立歌劇場『ニーベルングの指輪』、2004年の東京室内歌劇場『インテルメッツォ』、2016年5月~6月の新国立劇場『ローエングリン』くらいだろうか(クライバーが指揮したスカラ座の『ボエーム』『ばらの騎士』、アバドが指揮したウィーンの『ランスへの旅』『ヴォツェック』『フィガロの結婚』は観ることができなかった。観た方の感想をお聞きしたい)。 機会があれば、今後、感想などまとめてみたい。

(註)
<バイエルン国立歌劇場>(ペーター・シュライヤーが1回指揮をしたのを除いて、 指揮はすべてサヴァリッシュ)

・ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー』4回

・R.シュトラウス『アラベラ』4回

・モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』5回

・モーツァルト『ドン・ジョバンニ』5回

・ワーグナーやR.シュトラウスなどのガラコンサート1回

・ベートーベンのミサ・ソレムニス2回

・ベートーベンの第九6回

< ミラノ・スカラ座>

・ヴェルディ『ナブッコ』(指揮はムーティ)4回

・ベルリーニ『カプレーティとモンテッキ』(指揮はムーティ)4回

・プッチーニ『ボエーム』(指揮はクライバー)5回

・プッチーニ『トゥーランドット』(指揮はマゼール)4回

・ヴェルディなどガラコンサート(指揮はムーティ)1回

・ヴェルディのレクイエム(指揮はムーティ)1回

・レスピーギなどオーケストラ作品(指揮はマゼール)1回

※ちなみに1966年のベルリン・ドイツ・オペラ日本公演ではオペラ5演目

1966年ベルリン・ドイツ・オペラ来日公演 | NPO法人”龍ヶ崎ゲヴァントハウス" (gewandhaus.sakura.ne.jp)

写真1     バイエルン国立歌劇場日本公演プログラム表紙

 

写真2      バイエルン国立歌劇場日本公演プログラムから

 

 

写真3     サヴァリッシュ指揮ミュンヘン・オペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』ザックス:ヴァイクル、エヴァ:ステュ―ダー、ワルター:ヘップナー( TOCE-8426~29)

 

写真4 ヨッフム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』ザックス:F=ディースカウ、エヴァ:リゲンツァ、ワルター:何とドミンゴ(DG415 278-2)