ノブヤンのひとりごと 13(音楽教師としての備忘録 4/7)
〜4年目の学校分離による部活の危機、その後頂点が見え始めたコンクール〜
中学校の教員になって4年目、学校の分離がありました。 もともとが生徒数の多い中学校で、電車通学の生徒もいることから、学校分離はやむを得ないことでしたが、部活動を指導している立場からすれば、有力な部員がいなくなることは本当に大きな痛手でした。 もちろん生徒側にとっても、特にチームプレーで行う部活動の3年生部員には、自分達がせっかく積み重ねてきたことを最後の大会で発揮できないことのやり切れなさたるや、教師以上のものがあったと思います。
そして吹奏楽部にとっても、学校分離は大きな痛手となっていました。 もちろん学校分離は前々から分かっていましたが、4月から3年生になる2年生部員たちは、3学期にもなると、残る側にも分離する側にもあきらめムードや開き直りといったやりきれなさが目立ち、私も含めてみんなが本当に複雑な思いの活動になっていきました。 3月15日に卒業していった先輩たちとのお別れ会は、悲しみの中にも笑顔がありましたが、春休みに行った新設校へ分離していく部員たちとのお別れ会は、これから吹奏楽部が分裂していく場面を共有するかのようで、楽しい会ではなかったと記憶しています。
4月になってスタートした新年度、吹奏楽部では気持ち新たに新2・3年生による合奏を行ってみましたが、出てくる音は明らかにレベルダウンです。 多くのパートでファーストパートを受け持っていた部員(アマチュアでは上手なメンバーがファーストになる)が分離でいなくなっており、同じ曲を演奏してみても、3月の時とは比べものにならないほどヘタになってしまいました。 今までセカンドパートやサードパートしかやっていなかった部員が、いきなり音符の数が多く、ソロを受け持つ場面があるようなファーストパートに移っても、これは直ぐにはうまくいきません。 夏のコンクールを前にして突きつけられたこの現実は、顧問の私だけでなく、きっと部員達にも大きな危機として実感していたと思います。吹奏楽部顧問として3年目を迎えた昨年は、自分なりに一つの方向性が見えてきた実感がありましたが、4年目を迎えたこの年のコンクールは、私にとって大きな試練となりました。 日々音の合わない合奏練習が続くなか、怒鳴ったところで何の解決にもなりません。
そこで他の学校の吹奏楽部顧問に相談をしてみたところ、「オーケストラのアレンジ(編曲)物よりも、オリジナル作品をやるといいよ!」とのアドバイスを受けました。 アレンジ物は弦楽器パートを管楽器に置き換えているため、どうしても途中でブレス(息継ぎ)をとる必要の無理が生じてきます。 しかし吹奏楽のオリジナル作品は、書かれている楽譜の楽器でそのまま演奏するわけですから、ブレスの問題は当然考えられた上で作曲がなされており、無理がありません。 ここは「なるほどな!」という新たな発見でした。
この時私の中には、昨年までのような自分の指揮をカッコよく見せようというゲスな考えなど一切なく、「今年の部員達が、どうすれば悔いの残らない演奏が出来るか?」という焦りにも似た気持ちから、初めての吹奏楽オリジナル作品という未知の分野でコンクールに臨む覚悟を決めました。
まずコンクールで演奏されている、今まで全く無関心だったオリジナル作品のリストアップと、銀座のヤマハに行ってはプロの吹奏楽団やコンクール全国大会のレコードを数枚買って必死に聴きました。 自分にとっては新たなる挑戦でしたが、気持ちは前向きになっていきました。
そして選んだ曲は、吹奏楽界では有名なアメリカの作曲家「ロバート・ジェーガー」作曲の「シンフォニア・ノビリッシマ」(写真1)です。 これがレコードで聴いた中では、一番しっくりときたオリジナル作品でした。 コンクールでも人気のある曲で、楽譜も音楽之友社から出版されていたので早速取り寄せました。 譜面を見てみると、学校分離で手薄になっていたパーカッション(打楽器)パートが少ない人数でも演奏可能であることがわかり、改めて今年はこの曲で行くしかない! と腹をくくりました。
練習を始めてみると、確かに合奏は順調に進みます。 今までのようなオーケストラの音色に近づける必要もなく、自分たちのあるがままの音で音楽を作ればいいという方向性が見えてきてからは、ずいぶん気が楽になりました。 もちろん未熟な演奏ですから、音程を合わせること・リズムを揃えること・テンポの共通理解を徹底すること・ハーモニーをしっかり決めるといった合奏の基本に立ち返り、メトロノームによる遅めのテンポの合奏練習を繰り返しました。 またもう一つの課題曲は、もともとが委嘱のオリジナル作品ですから、自由曲と併せて2曲が同じ方向に進む練習となり、相乗作用で演奏の精度が高まってくる実感はありました。
そんな中で迎えたコンクール……これが意外な結果となりました!
6人の審査員の中で2人が満点(6項目が全てA)をつけてくれたのです(写真2、3)。他の4人の審査評価でも、6項目ではBよりAが多くつけられており、C・D・Eの評価は1つもありませんでした。 講評コメントでも褒め言葉が並び、県代表となる上位2校枠が、思わぬ射程距離圏内として近づいてきたのです。 これには悩み苦しんでいた私自身、無欲で得られた望外の喜びとなり、私から怒鳴られ続けてきた部員達にとっても、努力が報われた瞬間でした。
こうなるとコンクールの次なる目標は県代表です!
そして5年目に選んだ自由曲は、フランスのシャブリエが作曲した「狂詩曲 スペイン」……やはりオーケストラのアレンジ物ですが、コンクール全国大会のレコードにある演奏の中で心惹かれた曲でした。 この曲は、アンセルメ指揮・スイスロマンド管弦楽団のレコード(写真4)で私自身が愛聴していた曲でしたが、吹奏楽にアレンジされた楽譜(写真5)がすでに市販されていることがわかり、早速銀座のヤマハに行って購入してきました。
今回は自分で編曲をすることもなく、すでに楽譜が存在していたので、あえてオリジナル作品で二匹目のドジョウを狙う気持ちはありませんでした。 やはり私の中では、オーケストラの音楽をやりたいという思いの方が強かったのでしょう。
楽譜が揃い、部員達も上を目指す意識が高まっていたこの時は、3年生が引退した10月頃から次年度に向けての練習に取り組むことができました。 もちろん目指すは県代表の2枠で、それは私にも部員達にも共通した思いでした。
そして迎えた5年目のコンクール………
結果は残念ながら4位で県代表にはなれませんでした。 しかし審査員の評価では、7人中4人が全てA(写真6、7 4人中の2人分)、あとの3人も高評価をつけてくれました。 これだけを見ると昨年以上の好結果で喜ぶべきことでしたが、県代表を目指していた自分たちにとっては、悔しい悔しい結果です。 それでも上位2枠までは、もう目と鼻の先まで来ていることが、明日に向けての夢となっていました。
6年目の来年こそ関東大会へ!